番外 青と蒼の記憶

 

 

 

 

「ミライア!ミライアはいるの!?」

 早朝から響く、私に対しての呼びかけ。毎日のように聞いている母の声を耳にして、ゆっくりと返事を返す。

「はい、どうかなさいましたか?」

 返事こそゆったりと繕ったけど、体はそれに反して慌しく動く。

 もう五年、こんな毎日を送っている。十歳からは家で礼儀作法、奉仕活動や接客、その他諸々……よく言えばメイドとしての仕事をするようになった。

「これから旦那様がお出かけになりますよ。お見送りなさい」

「はい、分かりました」

 母は普段、仕事のときはお父さんのことを旦那様と言う。私もそれに倣って、旦那様としてお父さんと対話する。お母さんにもメイド長、と仕事上の関係を通している。

 踵を返し、私はホールの階段を降る。玄関の扉の片方を開け、外に出て正門にいる旦那様の下へ向かう。

「遅くなりました」

 多少時間が掛かったと思い、姿勢を正し私は頭を垂れる。けれども、そんな私を旦那様は薄く笑いながらも私の頭に手を乗せる。

「頑張ってるな。けど、いまは誰もいないんだ、普段通りにしなさい」

 普段通りと言っても、その普段がこのような感じに過ぎているのだから変化に困ってしまう。確かに、夕食時にはお互いに敬語で話したり、私が両親のことを『旦那様』や『メイド長』と言うことも無い。

 それでも、不思議と違和感を覚えてしまう。

「……うん、ごめんなさい。お父さん、今度はいつ頃帰ってくるの?」

 少しばかり間を置いて、私は元の私に戻り目を向ける。

 そうだなあ、とお父さんは少し首を捻りながら、やがて明るく答えてみせる。

「まぁ、二週間もすれば帰ってくるだろう。城でも会議が残っているからな。その間はミライアに代理を頼むつもりだ」

 お父さんは軽い調子で言う。いつも私に代理を任せると言うけど、大抵は私にとってあまり好きじゃないことばかりが待ち構えている。

 だけど、私は断らない。嫌な顔もしない。必ず、笑顔を見せて、

「うん、お父さんも気をつけてね」

 と返事を返す。

 私は認められたい。そのために頑張りたい。両親に『ミライア』である私のことを好きになって欲しい。

「ははは。それじゃ、そろそろ行ってくるよ」

 私に笑みを見せながらお父さんは正門を出る。お母さんや他のメイドの人達は、旅に出るお父さんを別段心配していないらしい。いつものこと、と慣れているので見送りに私を出す。屋敷の仕事が忙しいから。

「いってらっしゃい」

 だから私は、精一杯声を張って、お父さんを送り出す。

 

 

 

「ミライア!!!」

 私を呼ぶ声。その声は私にとってはあまり好きではない声。お城に行けば必ず耳にする声を今日も聞いている。

「どうしました?ランスさん」

 私に駆け寄ってきたランスさん。ルークリウスの第一王子、この国の未来の王様。そんなランスさんとは幼いときから何度も会っていた。お父さんが仕事でお城に行くときに私が一緒に行ったり、王様の言伝をランスさんが屋敷まで伝えにきたり。

「いや……またルウェンさんが仕事で家にいないらしいじゃないか。寂しいだろう?」

 頬を掻きながらランスさんは私を見る。本当は王子と言わなければいけないのだけれど、ランスさんは私には名前で呼んで欲しいと言ってきたことがあって、それ以来はこうしてお友達のように会話をする。

「いえ、父が仕事で家を空けるのはいつものことなので、別段気にすることでもありません」

 機械的に私は返事を返す。そう、ランスさんは私か、もしくは自分になにかある度に私にそれを訊ねて、または教えにくる。

 お話をするのは嫌いというわけでもないけれど、こう会うたび長々と会話をするのは……正直作業的なものになりがちで、飽きてしまう。

「それでは、私はこれで失礼します」

 まだ屋敷での仕事も残っていて、午後を過ぎた辺りからは屋敷から私に勉強を教えるための講師が足を運んでくる。

「そうか……それじゃあまた」

 ランスさんは少し残念そうに言う。私以外に話す人はいないのだろうか、彼がお父さんや王様と話すところ以外、殆ど見たことが無い。

 だけど、それを言ったら私も同じなのかもしれない。

 

 

 

 机の上に広げた用紙にメモを執りながら、私は講師の話を聞く。延々と続く世界史の内容を必死に覚える。

「晶力を使役するという一般社会の普及はこの時代から急速に進められ、条約が締結されたときには既に数万という晶霊術士を輩出する機関が増え始め………」

 一字一句逃さずにペンを走らせる。休む暇なんて殆ど無いに等しいほど、その作業は夕暮れまで延々と続く。

 学校へは行っていない私にとって、一緒に勉強をする同年代の人達がどんな気持ちで勉強をするのか、どんな友達関係を作っていくのか、どんな未来を考えているのか、私には想像もつかない。

 私には勉強を一緒にする人もいないし、同年代の友達もいないし、私の未来はきっと、この屋敷でいまの仕事を延々と続けていくだけの人生だと思うから。

 だけど、そんな私の未来は、望まない未来となり、いまの私を否定する出来事が起こってしまう。

 

 

 

「ルウェンが!?」

 ホールに響く突然の叫びに私は驚いて、階段上から絨毯の上に座り込んでいるメイド長の姿を見る。

「ミ……ミライア!!」

 何処ともなくメイド長は私の名前を呼ぶ。慌てて私は駆け寄ったけど、途端にメイド長が顔色を変えて私の袖を掴む。

「あ…あの人が……鉱山…に、行ったきり……帰ってこないって………」

 その言葉を聞いて私は愕然とした。言われなくても理解できる。お父さんが帰ってこない、つまりは行方不明ということ。出発前に交わした言葉が頭の中を駆け巡っていく。

「そ……そんな…」

 自分でも泣いているのが分かった。普段はそういった話は飛び込んできたこともないし、まして親がそんな危ない目に遭っていると考えると、息が詰まりそうになる。

「わ…私、行く。お父さん……迎えに行くから!!」

 思い立ったことをそのまま言葉に出す。すると、お母さんは私を見て、さらに嗚咽を漏らし、涙を零す。

 そのまま身支度も殆どしないで私は屋敷を後にした。明らかに動転していたお母さんは私に持たせるだけお金を持たせ、何度もお父さんの無事を願って私を送り出した。自分でも信じられないくらいだけど、きっと私も気がおかしくなっていると思う。

 そう、私は王都から出たことは一度も無いから。

 

 

 

 馬車でリエルタ港まで向かい、そのまま停泊している船に乗船する。初めて乗る船が新鮮で、乗船する手続きもぎこちなく過ぎて、出港するまでは船内を歩き回っていた。

 そうして船は出航した。出航して暫くの間は外の景色さえ新鮮に見えるほどだったけど、やがてその景色を見るのも飽きてしまう。

「お風呂でも……入ろうかな」

 だけど、早くお父さんに会いたいという気持ちが強かった。とりあえず部屋に備え付けのバスルームに入って、私は朝から仕事詰めだった体の汗を洗い流す。そして浴槽に浸かる。

「……お父さん…………」

 けど、黙っていれば考えるのは同じことばかり。それにも嫌気が差して浴槽から上がり、タオルを胸元から巻きつける。

「あ……そういえば着替え…」

 よく考えれば、着の身着のままでお金を持たされただけで私は屋敷を出た。当然財布以外持ち合わせてない。一度脱いだ下着を手に取り、やがて諦めてそれを身に着ける。

 こんな下らないことだけど、私には初めてのことばかりだった。一日以上同じ下着を身に着けることは無かったし、それ以前に船に乗ったのも初めて。退屈なときには甲板に上がり時間を潰し、食事のときには食堂へと向かう。そうして、レヴラント大陸へ到着するのを待っていた。

 レンバスの町に船が停泊したのは三日後のことだった。私はそのまま移動手段としての馬車を探し、運よくお父さんの向かったグレモールの町へと向かう。

 

 

 

 それから二日が経って、馬主にお礼としてのお金を渡して、私は町の中に入った。

 少しばかり砂埃の舞う町だけど、住んでいる人達が明るいのか、活気のある町だった。それだけで、王都とはまったく違う世界に思えた。空気や匂い、そんな些細な違いでさえ、私は気づくのが嬉しく思えた。

 だけど、そんな高揚した気分は、手紙の送り主に会って急速に沈んでしまう。

「そ……そんな…」

 もう、その言葉しか出なかった。送り主に会ったけど、その人は自分の腕や、足に包帯を巻きつけていた。私の驚愕とした様子に驚くこともなく、その人は私をさらに突き落とすように話を続けた。

「魔物だけ出るならよかった。他の工夫の連中もある程度は戦えたし、大して苦にならない程度に作業が進んでた。けど、やっぱり地盤が崩れたときは………出てこれたのは俺だけだ…」

 頭の中が真っ白になった。そして次に思い浮かんだのはお父さんの姿、そして、それが消えてお母さんが泣き崩れる姿。

「もう少ししたら、ファーエル国から調査隊が来てくれる。それまで待つしかないさ……」

 そう言い終わると、私は半ば追い出される形で家から出される。

 どうすればいいんだろう。会いに行きたい、無事だと思っているけど、心のどこかでそれを否定している自分がいる。だから心配してしまう。

 そして、私の考えは一つだけだった。

 自分が炭鉱へ向かう。それしかない、それが一番早くお父さんに会える方法だ、そう理由付けた私だけれども、一人で行けるとは到底思えない。なら、一緒に来てくれる人を探す。

 道の真ん中辺りに立ち、通りを過ぎる人でなるべく強そうな人を探す。丁度、背中に剣を下げている体格の良い男の人が通りかかった。私は声を掛けようとした。

 けど、出来なかった。

 ここで、私の喉まで出掛かった言葉が詰まった。そうしている間に、その人は見えなくなり、私は機会を逃してしまった。

 そして、気づいてしまったことがある。

(あ……私………)

 ―殆ど知らない人と話したことが無かった。馬車に乗せてもらったときは、人の良さそうなお爺さんが親切にしてくれた。

 けど、いま私が声を掛けようとしていたのは、背が高く目が鋭い、手には武器を持っている人。

 怖かった。ただ慣れていないだけなのかもしれない。

そして、それと同時に私を襲ったのは、とてつもない孤独感だった。

 そんな調子で、誰にも声を掛けられずに日が落ちてしまった。諦めて宿屋へ向かう。丁度一部屋空いていたらしくて、お金を払い部屋へと向かう。

 部屋の扉を閉じて、溜め息を吐く。見た感じ簡素に作られている部屋の造りを見渡して、ベッドへと倒れ込む。

 洗われたシーツの匂いがするそのベッドに安堵するが、途端に焦りと不安が蘇ってくる。早くお父さんに会いに行かないと、と私の中で警告が響いている。胸の辺りが苦しくなる。吐き出そうにも出なくて、けど出たら止まらないような、そんな気持ちが渦巻いているのが分かる。

 そうして、その思いを抱えたまま私は深い眠りへとついた。

 

 

 

 朝からまた同じ場所で同じように立ち尽くしている私。もう自分でなにがしたいのか分からなくなるほど。声を掛けようにもその度に足が動かなく、声も出ない。もどかしい自分に嫌気がさして、自暴自棄になっていた。

 けど、そんな私に、突然誰かが声を掛けてきた。

「あの、すみません?」

 高い声だった。けど、後ろから聞こえる声に、私は思わず声を上ずらせて、逆に訊き返してしまった。

「は、はい!?ど、どうしました??」

 驚いて振り返る。そこにいたのはとてもゆったりとした服装で、私より背の低く、肩より下辺りまで濃い青い髪を伸ばしている少女だった。

「いや、昨日もあなたが色々な人に声をかけようとしているのを見て、どうしたのかなって思ったんですよ」

 無垢な表情から発せられたその言葉に、私は不思議と暖かさを覚えた。そして、それと同時に、私は嗚咽を漏らし、涙を零してしまった。

「えっ???僕なにか悪いことを言いましたか?あっ、あの……?」

 その様子を見て、少女は焦ったのか同じく泣きそうな表情になりながら私を見る。

 早く泣き止まないと、そう思えば思うほど止まらない。どうしていいか分からずに私は俯いてしまう。

 そして、その直後に他の人の声が聞こえてきた。

「オラァ!サスケぇ!いなくなったと思ったら、なにいきなり知らない人ば泣かせてるんだよ!」

「やめて!痛い!痛い!やめてカーシス!!」

 声、というより雄叫びに近いものだった。驚いて面を上げてみると、声の主であろう男の人が少女の頭を締め付けている。痛さで悲痛を漏らす少女、そこに更に別の人が加わってくる。

「ちょっとカーシスやめなさい!!」

 女性だった。見た感じ私より年上で、だけど組み合っている二人組みに躊躇なく割り込んでいって、男の人を殴ったりしている。

 ―私のせい。意味も無く泣いてしまった私に勘違いして、私はそれを止めるのに、無意識に思い切り声の限りを吐き出す。

「ち、違います!この人は別なにもしていません!」

 言えた。私はまずそう思った。ようやく声を出せて、そしてそれと同時に三人の動きがピタリと止まった。

 涙を袖で拭いながら、私は思ったことも交えてしまいながらも泣き出した理由を説明する。

「その、すいません、いきなり泣いてしまって…。私、なかなか人に声をかけづらくて……、それであなたが私に聞いてきてくれた時、嬉しくてつい……」

「ああ、そうだったんですか。まあ、それよりどうかしたんですか?」

 それを聞いて表情を戻した少女は、反対に私に質問を投げかけてきた。

「え?はい…、あの……」

 一瞬焦ってしまったけど、とりあえず三人の姿をもう一度見る。自然と目が腰に移動して、そこにある剣を見つける。

「あの、あなた達、剣士さん…ですよね?お願いがあるんですけど、私と一緒に行ってもらいたい所があるんです」

 外見が多少、というかかなり思ってもみない、私と同じくらいの人達だけど、焦りが私に言葉を進ませた。

 男の人がなにかを言おうとしたみたいだけど、少女と女性に突き飛ばされて視界から外れる。

「何処なんですか?」

 丁寧に、けれどどこか可愛らしく少女は訊ねてくる。なにとなく話しやすく、さっきまでのことが嘘のようにスラスラと言葉を並べられる。

「はい、この街の東の出口から行くと見える、ノグリズ山脈の地下の炭坑に一緒に付いて来てもらいたいんです」

「なんでそんな所に?」

「ここは鉱山業が盛んな街ですから、『地晶石』が取れるその炭坑に父が行っているんです。だけど一週間たっても戻ってこないと手紙がきて、ここで一緒に来てくれる剣士さんを探していたんです」

 事実を口にして、私の中で不安がまた滲み出てしまった。表情を見られまいと俯く。だけど、女性があっさりとその答えを言ってしまう。

「もちろん、一緒に行ってあげる。私達、そこら辺の人よりすごく強いんだから!ね、サスケ!」

 女性は少女に向かってそう言う。少女は少し考えてから同意する。

「……まあ強いかどうかは別として、行くんなら早くしようよ。炭坑で行方不明っていうなら、落盤にあったかもしれないし…」

 そして、弾かれていた男の人も戻ってきて、仕方ないとばかりに話を纏めてしまう。

「馬鹿。んないきなり行こう、なんて言うんじゃねえよ。…その落盤が起こるかもしれない場所に行くんだぞ?もう一度荷物の確認をするぞ、何が起こるかわからないからな」

 あっという間に話が流れ、私は半ば取り残される形で、三人の会話を聞いていただけだった。

 

 

 

 炭鉱の中は、薄暗くてちょっと怖い。入り口でお互いに自己紹介をしてから、少しずつ会話をしながら進んで、こんなことを思うのも変かもしれないけど……楽しいと思った。

サスケさんが地晶石の話をしたとき、学生だということを聞いて羨ましいなって思ったりもした。学校に行ってみたいと思ったり、同じ女性のエクレアさんと話しをしたりと、気持ちが少し軽くなっていた。

「それにしても、この暗いとこで魔物が出るってのもなあ……」

 カーシスさんが愚痴を漏らしているのに、サスケさんが宥める。それを見てエクレアさんがカーシスさんに文句を言って、そういった動きが、私に新しい思いを持たせた。

 私も、あんな風に、お友達が欲しい。そう思いながら歩いていると、不意に自分の体が重力に引かれる気がした。

「きゃっ!!」

 思わず声を上げてしまう。だが、直前で体が支えられて、地面へ倒れることはなかった。ふと支えてくれた人を見ると、サスケさんが私の両肩を掴んでいる。

「大丈夫ですか?」

 近くにある端整な顔立ちの少年の瞳を、私は思わず見つめてしまった。いや、自然と見つめてしまう。

 ここまで綺麗で、女性のようなのに男性。言われてもまったくそうは思えない。

「は、はい。すみません……」

 慌てて支えられている手から離れる。サスケさんは気に留めている様子もなく、私に先を進むよう促す。

 そして、それから奥へと向かう。魔物と戦ってても、三人はとても強かった。サスケさんは私よりも小さいのに剣を持ってカーシスさんと一緒に魔物を斬って、エクレアさんはそれよりも大幅に大きい剣を持って、または拳や蹴りを使って戦う。私がなにをするわけもなく、あっさりと片付いてしまう。

 そうしているうちに、不意に地面が揺れた。私と、そしてエクレアさんはたまらずにバランスを崩してしまい倒れ込んでしまう。

 同時に、お父さんが落盤で帰ってこないという話しを思い出す。怖くなって天井を見つめたけど、崩れる様子はなくて安堵の息を吐いた。

 そして、サスケさんが走り出した。慌てて私も離されないように後を追う。

 そうして広い空間に出たところで、奥から人が出てきた。四人、怪我をしている人とその人を支えている人と二人ずつ。そして、そのうちの一人にとても懐かしく幾年も会ってなかったように思わせる、ボロボロになったお父さんが、そこにいた。

「お父さん!!」

 思わず私は走り出し、お父さんに抱きついてしまう。けど、そんなお父さんは、私を見るや否や慌てて逃げるように促す。

 また地面が揺れ、今度は魔物が現れた。しかもかなり大きい。いままで見た中で、一番大きくて、そして怖くなってお父さんにしがみついてしまう。

 そして、サスケさん達が魔物に向かう。必死で戦っていて、私はエクレアさんと一緒にお父さんと、工夫の人達を安全な場所へと移す。そしてエクレアさんも魔物へと向かう。

 ―私もなにかしなきゃ。その思いが沸き立ってくる。お父さんが無事と分かって、私の中での不安はもう消えていた。あとは、どうやってこの場から逃れるか。なら、私も戦うしかない。

 講師から習った晶術の詠唱に入る。この世界は晶霊を使役出来る人は多いけれども、それを魔物との戦いのために力を使う人も多い。集中して、詠唱を終える。

「アクアスパイク!」

 私の目の前から現れた水の波動が、サスケさんに迫る魔物の尾を間一髪で弾き返した。サスケさんが驚いて私のほうを振り向いたときに、私に向かって笑みを見せる。

 そうして、サスケさんがエクレアさんの晶術を使って魔物を倒した。剣に炎を纏わせて、それを魔物に投げて炎上させる技に、私は驚きを覚える。―凄い、と素直な気持ちで。

 

 

 

 お父さんは、怪我ですぐには戻れないから、私はサスケさん達にルークリウスまで送ってもらうことになった。国路が落石で通行禁止になって、仕方なくノグリズ山脈を越えることになり、それからは黙々と山道を登る。

夜に、サスケさんが作ったご飯を食べて、凄く美味しかった。どうしてこんなに上手なのかを聞いたけど、三人が笑いながらどこまでが本当で、どこまでが嘘を話しているのか分からないところまで話しが進んで、聞くのは諦めてしまった。

次の日には朝から歩き詰めだった。メイド服のままで歩くべきではない山道を延々と登って、ついには行き止まりに辿り着いてしまったときに、疲労が頂点に達してしまう。

 けれども、エクレアさんが勢いで進んだ横道の先に、とても美しくて、綺麗な鳥が現れた。

 その鳥は私達と同じ言葉を口にして、ファーエル国近くまで運んでくれるという。トントン拍子に進んでいったことだけれども、この常識では有り得ない出来事は、私にとって深く記憶に残る出来事だろう。そう思った。

 

 

 

話のときも嫌な顔一つしないで、私をルークリウスまで送るのを快く引き受けてくれた感じだったけど、途中でサスケさん達の目的のファーエル国に着いたときに、その考えは変わってしまう。

 王様がサスケさんのお父さんと知り合いのようで、話を聞いていると私を送るために大学を休んでしまう、と言うことらしい。途端に申し訳なくなり、サスケさんから目を背けてしまう。

 そして、更にエクレアさんとカーシスさんが闘技大会に出ることになった。ルークリウスでもこの話は流れていた。お父さんがお城で会議に参加したことも知っているし、聞かなくてもランスさんが出会う度にその話を持ち掛けていた時期もあった。

 エクレアさんとカーシスさんは、大会のために特訓をしに行くと張り切って行ってしまった。―実際はエクレアさんだけが張り切っていたけど。

 私はサスケさんと一緒に宿屋に向かうことになった。お城でのことから、なにとなくサスケさんに申し訳なくて顔を合わせるのが嫌になってしまう。本当は謝らなければいけないのに、言えない自分がもどかしくて、もっと嫌になる。

「あ、ここですね〜」

 サスケさんが指差した建物は、宿屋とはかけ離れた高層の建物。促されて一緒に入ると、屋敷より遥かに広く装飾に飾られた空間が待っていた。

 チェックインを済ませて、部屋へと案内される。けれど、部屋よりも私はサスケさんにどう話を切り出そうか、ずっと考えていた。

 だけど、その悩みも些細なことで簡単に終わってしまう。

部屋から出たフロントマンと女性の声が、扉越しから小さく聞こえてきた。

「ねえ、あの客って、四人って言ってたけど、本当は二人きりだったりして…」

「恥かしいからってか?若いねえ」

 それを聞いた途端、私はいまの状況を考えた。ホテルの部屋でサスケさんと二人きり。

―二人きり。

 事実を確認して思わず面を上げてしまう。その目の前にはサスケさんがいて、私はなにか言葉を漏らさないように、手で口を押さえて目を逸らす。

「……そういえば、晩御飯どうしましょうか?」

 けど、私がそんなことを考えて熱くなっているのを横に、サスケさんは晩御飯の話しを持ち出してきた。外の声が聞こえなかったのか、私一人で舞い上がってしまったことを考えると、急に高まった気分が萎んで、しかも物凄く恥ずかしくなった。

「え…あの……、そ…っ」

それでも言葉を詰まらせたけど、私は思い切って口を開く。

「ごめんなさい!」

 同時に頭を下げて、サスケさんに顔を見られないようにする。

「へ?」

 いきなり言われて意味が分からない、というような声が聞こえてきた。けれども、私は構わずに言葉を続ける。

「あの、わ、私を家まで送るから、サスケさんはだ、大学、に行けなくなるんですよね。それで、私…迷惑、かけて…」

 早口で済まそうと思ったけど、どうにも突っかかってしまい上手くいかない。更に頬が熱くなっていくのが分かるほど、焦ってしまう。

 けどサスケさんは、私の言葉を聞いた途端吹き出してしまう。

「あはは。なに言ってるんですかミライアさん。別に数日休んだくらいで大学追い出されるなんてことありませんよ!」

 その言葉を聞いて、呆然と下げた頭を上げてしまう。

「それに、迷惑された、なんて思ってませんよ。隣の大陸なんて行ったことないから、楽しみですしね」

 黙ってそれを聞いていたけど、再びサスケさんの顔を見てしまいまた頬が赤く染まったのを感じて、後ろを向いてしまう。

 けれど、露骨にそんなことをしてしまい、逆に申し訳ないことをしてしまった。ゆっくりとサスケさんのほうを振り向いてみる。彼の表情は、いつもと変わりなく呆けたようで、可愛らしい少女のようだった。

「っと…、それじゃあ。エクレアたちが戻ってくるまで、買い物にでも行きましょうか?」

 サスケはドアのほうまで歩いて私を誘う。その言葉が、私の気持ちを軽くさせて、同時に高揚させてくれる。

「……はい」

 久しぶりに自然に、そしてゆったりとした気持ちで、私は笑うことが出来たのだと思う。

 

 

 

「あ、ここってどんなところなんですか?」

「演奏や劇とか、催し物があるときに使われる大ホールですよ」

 私が話しかければ、サスケさんは必ず返してくれる。

 あのあと、買い物として外に出たけど、初めてファーエルに来た私のためにサスケさんは色々な場所を歩いてくれる。真っ直ぐにお店には行かないで、回り道をして時間を潰す。

「あそこが……闘技場ですよね?」

 楕円形のドームが見える。造りはルークリウスにあるものと同じだったからすぐに分かった。

「エクレア達、なにしてるんだろう……」

 寄ってみればいいと思うのに、サスケさんは闘技場へは行こうとはしなかった。

「頑張っているのに、邪魔しちゃ悪いじゃないですか」

 そう言いながらまた歩き出す。

 そうしてのんびりと歩きながらも、大通りへと辿り着いた。ルークリウスと同じように活気で溢れていて、綺麗に整備された通りがどことなく似ているところもある。

 人混みの中を掻き分け雑貨屋で買い物を済ませると、またその中に飛び込まなければならない。

「ちょっと休みませんか?」

 サスケさんが私を見て突然言い出した。私を気遣ってくれたのか、とても嬉しかった。……自意識過剰なのかもしれないけれど。

 そのまま二軒先にある喫茶店へ入った。お店の中は若い人達で賑わっていて明るい感じだった。窓側の席へと座り、そこに従業員が来る。私と同じようにメイドの格好をしている女性が注文を取りにきた。

「ミライアさん、なににします?」

「そうですねえ………」

 少し考えながらメニューを覗く。目に付いたのは大きな写真で写されているパフェ。私はそれを頼むと、サスケさんはそこで注文を切ってしまう。

「え?サスケさんはなにも頼まないんですか?」

「僕はあんまり、こういうお店は入ったことなくて……」

 聞くと、ここはサスケさんもよく大学の同級生に誘われてくるお店らしい。けど、来るのはいいけど全員でお勉強。誰かが一品でも注文すれば席には座れるから、他の人が注文を頼んでサスケさんは別段頼みたいものはないらしい。

「サスケさん、大学生ってことは……お年は十八歳くらいですか?」

 大学生、ということは高等学校を卒業して、そこから更に入学試験を通しているはず。外見の割には随分と不釣合いな年齢かな、と思っていたけど、

「あ、僕は十四歳ですよ」

 と言ってきたので、色々な意味で驚いてしまう。

 つまり、最低でも民間の学校はパスしているということ。各大陸には大学は少なくても一校あるし、三校無い程度。その狭い道をこんな年で抜けているから……素直に関心しちゃう。

「今年で四年目で、学生課程は終わって……いまは博士課程ですね」

 つまりは十歳で大学生、ということになってしまう。どんな勉強をしたらそんなに頭が良くなるんだろう。私なんて、毎日延々と講師の授業を受けて、ようやく高等学校の教育課程が終わる辺りなのに。

「そういえば、ミライアさんってどうしてそういう格好してるんですか?」

 そこで、サスケさんが話題を変えてきた。私の服装の話。

「ええ……ちょっと色々あるんです」

 正直、このことには触られたくなかったけど、確かに普通に考えれば訊きたくなるだろうこの姿は目立ちすぎる。お店の中でも他の人の視線が向いているのが分かって、少し居辛い。

「へえ……そうですか」

 だけど、そんな私の様子を気にも留めないでサスケさんは私に言う。

「けど、とっても可愛いですよ」

 笑顔で言うその言葉に、私は口に運んでいたパフェのクリームで咽返ってしまった。咳をする私を見て、サスケさんは慌てながらナプキンを取って、口を押さえている私の手を払い、それ押し付ける。

「だ、大丈夫ですか……?」

 一瞬、とても驚いたけど、そうして拭き取られた私の口は、薄い紙越しから人の手の感覚が伝わっていた。なにとなくそれが心地よくて、少し唇を突き出してみる。だけどサスケさんは少しするとその手をあっさり離してしまう。

「あう……すみません」

 私は謝るけど、リヴェルさんは笑顔で聞き流して、また別の話に移る。

「あ、そうだ、少し休んだら買い物に行きません?」

 そんな私の様子を見かねてなのか、サスケさんが私を誘う。

 私のほうが年上なのに……これじゃあサスケさんのほうが全然大人で、やっぱり恥ずかしい。

 けど、それでもなぜか私は嫌な気分になることもなく、

「そうですね。それじゃあ案内してくれませんか?」

 と、その話に同意する。

 

 

 

 買い物、と言っても、サスケさんが連れてきてくれたのは女の人が入りそうな洋服屋や、本屋とかそういったものばかりだった。さすがに旅の最中で服を買う、というわけにも行かないし、私は替えの下着を買ってお店を出る。それにしても、サスケさんが女性用のお店に入っても全然違和感が無い。

 そうして、最後に着いたのはサスケさんが私に教えてくれた、大ホールの手前だった。

「んー……どうします?入ってみますか?」

 さり気なく私に聞いてくる。ルークリウスには劇場なんていうものは無いし、興味があった。

 お願いすると、サスケさんは軽い足取りで券を買いに建物の中へ入っていった。私もそれについて行く。

 場内は思った以上に賑わっていて、まだ席に座っていない他のお客さん達でひしめき合っていた。

「あ、とりあえずはぐれないように」

「え?……きゃっ!」

 突然、サスケさんが私の手を握った。驚いて私は声を上げてしまったけど、人混みの中でサスケさんには届かなかったみたいだった。

 そして手近な席へと座り、ようやく劇が上演される。

 

 

 

―その劇は、大陸全土が瘴気に汚染されていて、病に苦しむ人々の中の、少年と少女が主役のお話だった。

『必ず、この大陸から出よう。それで、暖かい国に行って……一緒に暮らそう』

―その大陸の国王は、自国を瘴気と、それの影響で増殖した魔物の群れから守るために、民を戦いに出す人物だった。少年も、その中の一人だった。瘴気に汚染されながらも、徴兵制度の中で兵士として戦場へと送り出される運命だった。他の大陸の国は、自国の兵士を瘴気の充満した大陸に送りたくもなく、外からの援軍は皆無だった。

『ありがとう……』

 ―少女は、戦場に赴く少年に抱きしめられながら、呟くように言った。演技であれどその言葉には、少年が必ず帰ってくると信じている思いが伝わってくる。

―そして、少年は帰ってきた。帰ってきた、というよりも戦場で多くの兵士が敗走して、少年もそのうちの一人だった。

―他の大陸へ逃げたいけれど、船を使えない二人には海底洞窟を歩く手段しかなかった。漆黒の闇の中を、ただ延々と歩き続けるだけ。だけど、少年はその中に倒れた。

『ごめん……僕に構わないで…………行って…』

 ―戦場へと送り出されたとき、少年は傷を受けていた。瘴気によって力を得た魔物からの傷は、少年の中に直接瘴気を送り込んでいた。

『いやぁ………一緒…に、一緒にいよう……よ』

 ―少女も、少年が帰るまでに瘴気に汚染され続けていた。その幼い体は、既に限界だった。

 ―そうして、少年と少女は、最後にはお互いの存在を確かめ合うかのように、闇の中で抱き合った。そうして、温もりを感じながら、静かに息を引き取った…………。

 

 

 

 劇が終わったあと、私は泣いたままサスケさんに連れられて外に出た。私以外にも、始めて見たであろう他のお客さん達も同じように涙を流していた。

「ミライアさん……大丈夫ですか?」

 そんな私に、サスケさんは声を掛けてくる。

「だって……せっかく会えたのに…二人…共、死んじゃうなんて………」

 詰まらせながら言う言葉をサスケさんはしっかりと聞いてくれていた。

「確かに…一人で死ぬのも、生きているのも寂しいと思…う、けど……」

 軽い気持ちで見れなかった劇だった。あまりにも人の思いが伝わってくる、入り込まされる内容だった。泣くなというほうが無理だった。

「………大丈夫ですよ」

 体が、途端に温かくなるのを感じた。涙で滲んでいた視界を開いてみると、サスケさんが小さい体で私を抱きしめていた。

「ミライアさんは、一人生きることも、死ぬこともないですよ……。だから、大丈夫………」

 それが、私を落ち着かせる為に言った言葉なのは理解していた。

 だけど、その言葉は、いつしか私がサスケさんに依存して、そして、本当に失ってしまうものを見てしまう、始まりでしかなかった。

 

番外 青と蒼の記憶 完