十五章 水と風の乙女たち

 

 

 

 

 

 イフリートと契約した一行は、砂漠からファーエルに戻った。

 大会の期間もまだ先なので、とりあえず図書館に行くことにした。

「他に大晶霊がいるところって、どこかしらね……」

 棚から本を漁りながらエクレアは呟く。

「まずノームがいた場所は炭坑だろ。次にイフリートが遺跡だったな……」

 順調に大晶霊との契約をしていたので、手詰まりすると妙に焦ってしまう。シヴァも考えていた。

 そこに本棚に背を預けていたミライアが、そこから少し離れた。

「いままでの大晶霊たちは皆さん、自分にあった場所にいませんでしたか?」

 その言葉に、カーシスが反応した。

「そうだよなあ。俺がイフリートのこと考えたときにも、そう思ったんだよなあ……」

(そうだな、それも一理ある。それみたいな場所はないのか?)

 裏のカーシスも同意する。だが彼は古代種なので、いまの世界の地理には詳しくない。聞こえる四人に訊いた。

(俺が知るはずないだろ)

 名指しされる前に、裏サスケはそう断わっておいた。

「それで、なんですけど……」

 なにか話しているように見えるカーシスを見ながら、ミライアはおずおずとなにかを言おうとする。

 思えば、ミライアとエクレアは、二人の声が聞こえなかったんだな、とサスケは改めてそう感じる。

「水の大晶霊なら、ルークリウスの北東にあるシウム湖畔に……いるかもしれません」

 歯切れ悪くそこで言葉を切ってしまった。何故だか独り言を言っているように見えるカーシスが恐く感じてしまい、引き気味になっている。

「どうしてだ?」

 シヴァが理由を訊いてみる。

 間違って話さないように、ミライアは慎重に話し始めた。

「シウム湖畔は…、昔に存在した王族が洗礼の儀を執り行うため、その身を清める水をそこで浴びていたと聞いたことがあるんです。もし水の大晶霊なら、そういった綺麗な水のところにいるんじゃないかなって、思ったんですけど……」

 聞きながらシヴァは何度も頷いた。

「そうだな……、シウム湖畔か。行ってみる価値はあるな」

 

 

 

 その決定でシウム湖畔へと向かった。

 ルークリウス大陸にあるので、船での移動となる。王都で簡単に荷物をまとめて、そのまま北東に向かった。

 透き通った水で、周囲には霧がたち込めているシウム湖畔は、静寂そのものと言っていい程、静かだった。

「ここか…………」

 シヴァは辺りを見渡して一息吐く。霧で視界が狭く、透き通っているはず水も濁っているように見えた。

「ここでいいの?」

 エクレアはミライアに訊く。

「はい、ここでいまのルークリウスが栄える前の王たちは、この湖で洗礼の儀式を受けていたんです」

 簡単にミライアが説明している最中、カーシスはきょろきょろと辺りを見渡していた。

「んー……、なんかよくわかんねえところだな」

 別段、特に変わったところはないだろう。見渡す限り湖の一言で片付けられてしまうその場所。しかし、そう言ったカーシスに、サスケも頷く。

「やっぱりそう思う?」

 真剣な表情になって、サスケとカーシスは剣を抜いた。

「二人とも、どうし…………」

 わからずにエクレアは二人に近づこうとした。そして同じものを察知したように、大剣を抜いた。

「これは……」

 三人はそれぞれ周囲を確認したが、最終的に見た場所は同じだった。湖の中心を見ていた。

「え、なに……?」

 理解できていないミライアは、訊ねるようにシヴァを見た。

 だが、シヴァもわからないようだ。

(待てよ……そうか!)

 やがてシヴァも気づいたらしく、同じ場所を見た。

「はあ!!」

 エクレアは勢いをつけて大剣を投げ飛ばした。

 そして飛んでいった先で、湖に大剣が沈んでいく水音が聞こえた。直後に、鈍い音がした。

「グゴオオオオオオ…………」

 そしてなにかの呻き声が聞こえた。

 湖の中心から、渦が巻いてくる。

「エアプレッシャー」

「エアプレッシャー!」

 サスケとエクレアは、同時に晶術を唱えてその渦を止め、そのまま中にいたものを引き摺り出した。

「グルルル……」

 それは、全身の毛が青く、漆黒の目を光らせていた魔物だった。腕であろう部分にはエクレアの投げた大剣が突き刺さっていた。

 太い腕にある爪を光らせ、サスケたちを見ると、水面を這うように移動して襲いかかってきた。

「エデンシア!」

 シヴァはその魔物をそう言った。槍を構えて猛然と迎え撃とうと構える。

 だが、直後に吐き出された凍てつく吹雪にそれを止められてしまう。

「ぐう……!」

 吹雪を防ぐために槍を旋回させ、突風と共に冷気を押し返す。だが、その間にもエデンシアは迫ってくる。やがて跳躍して、岸に飛び移った。

「きたわね……」

 拳を構えて、エクレアはシヴァを庇うように立つ。サスケとミライアは晶術の詠唱に入る。

「いくぞ、剛天撃!」

 地面を砕き、カーシスは岩鬼を飛ばしエデンシアの皮膚を切り裂く。

「く……」

 カーシスがエデンシアと対峙している間に、シヴァはなんとか起きあがった。

「大丈夫?」

 エクレアはヒールを唱えて、シヴァの傷を治す。

「すまない……!!」

 シヴァは槍を構え、カーシスの後に続いた。エクレアも走り出す。

「スラストファング」

 ミライアが晶術を唱えた。無数の真空がエデンシアを切り裂く。

「まだ……ヴォルテックヒート!」

 続けて昇華晶術を発動する。熱風がエデンシアを焦がす。

 そこにシヴァが槍の一閃で動きを止める。

 休まずエクレアとカーシスで連撃を加える。殴っている間に、エクレアは刺さっている大剣を抜き取り退く。

 たて続けの連撃の終わりに、サスケが晶術を発動する。

「シャドウエッジ」

 エデンシアが幻影の刃に浮かされる。

「ブラッディクロス!」

 更に昇華晶術を唱え、落ちてくる隙を狙ってエクレアが拳を入れる。

「はあ! 掌破飛燕脚!!」

 掌底破の直後に飛燕連脚で追撃し、その巨体を大きく吹き飛ばす。

 衝撃を受けたエデンシアを、そのまま後ろの森に蹴り飛ばし、それから再び現れることはなかった。

「さて……」

 シヴァは湖を見る。湖畔は静寂を取り戻していた。

 そこに、湖の中心から青白い光が現われた。

 それはゆっくりと昇っていき、五人の上空で止まった。

「これは………」

 シヴァが固唾を飲んで見ていると、光が弾け、その中から青い輝きを放つ女性が現われた。

 現われたのはウンディーネだろう。彼女は静かにこちらを見下ろしていた。

「あなたたちは……先程のエデンシアを打ち払った者たち……。私になにか御用で?」

 いつも通りこの先のことはシヴァに任せるように、彼から少し離れて四人は見守る。

「水の大晶霊ウンディーネよ、我らはそなたと契約を申し入れるためにここまで来た」

 ウンディーネは優しく微笑んだ。暖かい瞳で五人を見る。

「そうですか。ノームとイフリートも……あなたたちに力を貸しているのですね。わかりました」

 シヴァの表情が緩んだ。まだ慣れきっていない大晶霊の契約に胸を撫で下ろす。

「それでは……剣を取りなさい!」

 ウンディーネは手に持ったトライデントを構える。先程までの穏やかな瞳が引き締まった。

「結局こうなんのかよ……」

 げんなりしながらカーシスはもう一度剣を抜いた。

「無駄口叩かないの」

 エクレアの拳がカーシスの頭部に打ち込まれた。無駄口を言う暇があるならしっかりと剣を構えなさい、と言いたいのか、いずれにしてもカーシスは痛みでその場にしゃがみ込んでいる。緊張感のない男だ。

「は!」

 ウンディーネの三又の槍がシヴァに向かってくる。

「翔雨閃!」

 それを槍で振り払い、ウンディーネを突く。後ろでサスケも刀を抜いて走り出す。

「虎牙破斬!」

 斬り下ろしてウンディーネをそのまま地面に叩きつけた。

「きゃ!」

 短く悲痛を漏らしたが、すぐさまウンディーネはまた宙に浮く。

「なかなかやりますね……、ではこちらも!」

 ウンディーネは槍を正面に構えた。油断なく身構えたが、驚くことにウンディーネはいくつも自分と同じ分身を作り出した。

「な? な!?」

ざっと数十体はいるだろう。驚いてカーシスは取り囲んできたウンディーネの分身を見て、目眩しそうになる。

「いきます!」

 一斉にウンディーネたちが槍を構え、五人に向かった。

「エクレア、ミライアさんを頼んだよ」

 サスケは刀を構え、自分の正面にいる数体のウンディーネを見据えた。

 それぞれが分散して迎え撃つ。なるべくお互いに離れて、ウンディーネたちを散らさせた。

「剛天双震撃!!」

 カーシスは砕いた地面にウンディーネたちを一纏めにした。

「いくぜ!!」

 それだけでは終わらず、カーシスは更に強く地面を何度も砕いた。

「砕けろ!!」

 剣で地面に衝撃を走らせる度に、巻き上げられる岩鬼が鋭くなる。

「くらえ! 剛破振天撃!!」

 最後の一振りが地面に触れたとき、巻き上げられた粉塵から爆発が起こり、一瞬でウンディーネたちを掻き消した。

(そうか!)

 それを見ていた裏カーシスは、カーシスに、

(分身したウンディーネたちは水でできている! 蒸発させるか、凍らせるんだ!)

 と告げて、聞いたカーシスは全員に向かって叫ぶ。

「皆! ウンディーネの分身は蒸発させるか、凍らせろ!」

 聞いたエクレアはミライアを視界の端に見据える。

「それなら……」

 ミライアを庇うように、エクレアは前に出て地を蹴った。

「氷墜翔!」

 数体のウンディーネを大剣で持ち上げて、そのまま地面に叩きつけ凍らせ、動きを止める。

 その間にミライアは晶術を唱えた。

「バーンストライク!」

 火炎弾がウンディーネたちに降り注ぐ。そこに更にエクレアも晶術で追撃する。

「イラプション!」

 契約したイフリートの力を借りる。地面から溶岩が吹き上がり、奔流がウンディーネたちを飲み込む。その跡にはなにも残っていなかった。

 その奥で一際集まっているウンディーネたちは、サスケを取り囲んでいた。

「サスケ!」

 エクレアは加勢に加わろうとする。だが、突然目の前にウンディーネたちが姿を現した。

「え!?」

 驚いてエクレアは足を止める。すると、どこからかウンディーネの声が聞こえてきた。

『本体である私を打ち破らねば、分身はいくらでも現われますよ』

 カーシスも新たにウンディーネに剣を振っている。シヴァもまた、同じように苦戦を強いられていた。

「いきます!」

 ウンディーネの一体がサスケに向かって槍を突き出す。

「く…」

 それを回避し、刀を振り下ろし槍を叩き落す。

「なぜ、いつまでも逃げる戦いをしているのですか?」

 数体のウンディーネが一斉にサスケに襲いかかる。

「それは……」

 幾度となく繰り出される槍を避けながらサスケが言葉に詰まる。

「私に力を示さねばいけないのですよ!」

 容赦なくウンディーネたちはサスケを攻める。

 裏のサスケも、サスケに喝を入れようと叱咤する。

(なにをしている! ただ逃げているだけではいずれ捕まるぞ!!)

「だって……」

 サスケはウンディーネたちを順に見ながら言う。

「この中には、本物のウンディーネさんはいないから……多分、シヴァさんが相手してるんじゃないかな」

 聞いたウンディーネはハッとしてサスケを見据えた。

「私たちを、見分ける程の能力が……、この少年に……ある……」

 話しながらも戦い続けるウンディーネたちだが、その動きに一瞬の隙が見えた。

「くっ…!」

 真横に突き出された槍を、サスケはそれを確認せず刀を振り下ろし、受け止めた。

「な…!!」

 その動きにウンディーネたちは驚愕したが、構わず正面から槍を突き出した。

 だがサスケは瞬時に小剣を抜いてそれを受け止めた。

「幻影刃」

 影の軌道を残しつつ、ウンディーネたちの槍を真っ二つに斬り落とす。

(シヴァさん、頼みましたよ)

 駆け抜けながらサスケはシヴァを見た。

 一体だけウンディーネがシヴァと対峙している。やはり本体のようだ。

「はああ!!」

 高速の突き技、槍連閃でシヴァはウンディーネを貫く。

「スプレッド!」

 だがそれごと水圧で押し切られる。

「くっ、まだだ!!」

 シヴァは怯まず、槍を斜めに振り上げ、そのままウンディーネを投げ出す。―槍連翔破。息も吐かぬ間に相手を空中に放り投げて追撃する技だ。

「洗礼の矛!!」

 だが投げ出されたにもかかわらず、ウンディーネは晶力を槍に込めて、それの波動をシヴァに撃ちつけた。

「ぐああ!!」

 痛みで顔を顰めながら膝を曲げる。ウンディーネは体勢を立て直すべく、徐々に落下していった。

 すると突然、痛みが消えていった。辺りを見ると、サスケがウンディーネたちと戦っている最中に、回復晶術を唱えてくれたのがわかる。

「すまないサスケ!」

 渾身の力を使い、シヴァは立ち上がると、落下してくるウンディーネを捉えた。

「うおおお!! 槍破龍鳴閃!」

 動きを見切り、それを先読みし槍を突き出した。為す術もなくウンディーネは貫かれ、痛みで顔を顰めついに分身たちは消滅していった。

「く……やりますね」

 そう言うと、ウンディーネの体が光を帯びた。次に見たときには、貫かれた傷が塞がっていた。

「いいでしょう……私も、あなたたちに力を貸します」

 シヴァの表情が緩んだ。だがすぐに気を取り直して契約に入る。

「それでは、水の大晶霊ウンディーネよ、我らとの契約を……」

 黙ってウンディーネは頷く。

「あなたたちの力に……」

 光がウンディーネを包む。そして消えていった。

 

 

 

 戦いで疲れたのか、全員黙って足を港に向けていった。夜に港に着いてからはすぐ船に乗り、部屋で眠りについた。

 サスケは一人で甲板に上がり、夜の空を見つめていた。

(おまえは空が好きだな)

 裏サスケが言う。黙ってサスケは思い出すように言った。

「前に、シヴァさんが、空が好きだって言ってましたでしょう?」

 反応することなく、裏サスケは聞いていた。

「僕にもわかりますよ。理由は言いにくいけど……、見ていると落ち着くのかな……? 安心できる……」

 星が散っている夜空を見上げながらサスケが囁くように言う。

(そうか……)

 暫くの間、二人は夜空を見続けていた。点々と煌く星と月が、闇夜を照らす。

 やがて、部屋に戻ろうと後ろを振り向いたとき、サスケの体に違和感が起こった。

(どうした?)

 裏サスケが訊いた。だがサスケは答えずに手で胸を抑えたまま、膝をついてしまう。

(おい、大丈夫か?)

 もう一度訊いてみる。暫くサスケは答えなかったが、落ち着くと深く息を吐いた。

「うん……あ、はい……大丈夫…です」

 ゆっくりと立ち上がり、胸を撫で下ろす。裏サスケはそんなサスケを不安そうに感じる。

(疲れているのか? 最近は休みなしで移動していたからな……)

 そうですね、とサスケは無理に笑顔を装って頷く。

(それなら、少しの間俺と替わるか? 休んだほうがいいだろう?)

「……そうですね」

 もう一度言って、サスケは部屋に足を運んでいった。

 ベッドに体を投げ出すと、そのまま深い眠りについていった。

 

 

 

 やはり限界だったのか、ファーエルに戻ってきたときに、結局裏サスケに替わってもらい、行動を任せることにした。

 エクレアはどうしたのかと聞くと、

「おまえには関係ない」

 といつも通り露骨に流されてしまった。

(嫌な感じね……)

 腹が立ちながらも、エクレアは黙ってそれ以上聞かないことにした。

 カーシスの提案で、とりあえずは城に戻ろうということになり、城門近くまで足を運んだ。

「もう少しでエクレアは大会か……」

 シヴァがぼそりと呟いた。

「だから悪かったって言ったじゃない」

 前に話したことを言っているのかと思い、エクレアは唇を尖らせて言った。

「いや、そうじゃない。ただ、エクレアが大会に出ている間にでも、俺たちで大晶霊を探せないかと思ったんだが……」

 そうか、と四人から少し離れて歩いていたサスケが話しに加わってきた。

「そのほうが効率がいいかもな。エクレアは試合に出るが、四人で行ければ充分だろう」

「ちょっと待てよ、エクレアの応援とかしなくてもいいのか?」

 訊いていたカーシスが口を挟む。

「応援……、別にエクレアも子供ではないだろう。そんなのは一人でやっていればいいだろ」

 半ば呆れたようにサスケは言い返す。

「いいじゃありませんか? 少しくらいエクレアさんを待っていても……」

 ミライアがその場を咎めようとするが、裏のカーシスが割って入ってきた。

(まあいいだろサスケ? シヴァも、片方が疲れているからおまえが代わりに外に出ているんだろ?)

 そうだったのか、とカーシスが呟く。

「それで俺が出たんだ。その間にサスケは休んでいればいいだろう?」

(少しは休むことも大切だぞ。言い方を変えれば、一人動けないでいるんだぞ。エクレアの用が済むまでは休んでも問題ないだろう?)

 裏カーシスの話しが大体の正論を通っていて、サスケもシヴァも言い返せないでいた。

「……わかった。……だが」

 観念してシヴァはため息をついた。

 ミライアは一瞬安堵したが、シヴァが言葉を続けたので、少しばかり表情が沈んだ。

「せめて大会前日くらいまでは、大晶霊を探そう。こうしている間にもダンティンスは力をつけているに違いない」

 エクレアはなにか物言いたげな表情だったが、すぐに諦めたように肩を落とす。

「わかったわよ。私だって……」

 それきりエクレアはしばらく黙ったままでいた。次にどの大晶霊を探すかを検討しているうちに、シルフを探すことになり、手がかりを探さんと各自散った。

 サスケも王都に戻ろうとしたが、不意に意識の中から呼び止められる。

(あのー……ちょっと)

「なんだ?」

 

 

 

 サスケは城へと足を運んだ。

 辺りを見渡して、王の臣下の一人と思われる人物を見つけると訊ねてみた。

「すまない……この城の研究所はどこにあるんだ?」

 訊かれた臣下は、サスケを疑うように陰気な目で見ている。

「失礼だが、なんの用で?」

「父であるランティスに会いたいのだが……」

 ランティスと訊いた臣下は、そうでしたかと言うと、素直に研究所の場所を教えてくれた。

 研究所へと続く階段を降りて入った部屋は、数人の研究者が忙しなく部屋を行ったり来たりしていた。

 その中、ランティスだけは机に向かい、事務に勤しんでいた。

「と、父さん……」

 傍まで近づき、高い声で半ば言いにくそうにサスケは言った。

 下がっていた頭を上げ、サスケの顔を見ると、ランティスは驚いたように声を上げる。

「サスケか? どうした、こんなところにきて……」

「いや……聞きたいことが、あるのでな」

 聞き慣れないサスケの口調に、ランティスは違和感を覚えながらも、

「なんだ?」

 と聞く姿勢に入った。

「ああ。大晶霊のシルフを探しているんだが……、手がかりがなくてな……。父……さんなら、なにか知っていると思って」

 久しぶりに声を高くするので精一杯なのか、口調がおかしくなったままになっていた。

 だがランティスは、それに気づかなかったのか、大晶霊と聞いて椅子から勢いよく立ち上がった。

「大晶霊……」

「知っているんじゃないのか?」

 知らなかったのかとサスケは思ったが、ランティスの言いたいことはそうではなかった。

「どうしてそんなことを訊くんだ?」

「理由は言えない」

 はっきりとサスケは言った。ランティスは俯き加減になにかを考え、顔を上げると、

「ノグリズ山脈だ」

 とだけ言った。

「そうか……すまない」

 サスケはそれ以上なにも言わず、静かに研究所から出た。

 ランティスは離れていくサスケの後姿を見つめながら、黙然とした態度をとったまま、静かにその場から離れていった。

 

 

 

「ノグリズ山脈にいるらしい」

 サスケは全員を集めてから、短く言った。

 ランティスから聞いた話だと教えると、シヴァも賛成した。

「それでは行ってみるか」

 エクレアは、なにか言いたそうにサスケを見ていたが、構わずにサスケは背を向ける。

 だが道中、サスケは観念したのか、後ろを歩いているエクレアの腕を掴み、

「サスケはなんともない。ただ疲れているだけだ。神経質になることでもないさ」

 と言って乱暴に掴んでいる手を離した。

 そんなサスケの後姿を眺めながら、エクレアは思わず顔を綻ばせる。

(……そっか)

 満足そうにエクレアはその後に着いていった。

 

 

 

 思えばノグリズ山脈を反対の道から歩いたのは始めてだった。といっても、登る機会自体がないのだが。

 以前はヘオルギアスが乗せていってくれたので楽をしていたが、予想を越えるくらい険しい戻り道だった。

「はあ……はあ……」

 息を切らしながらも、カーシスは黙々と歩き続けていた。

 その後ろに、シヴァ、エクレア、ミライア、サスケという順に歩いていた。

「なんて山だ……」

 あまりの険しさに、シヴァは思わず呟いてしまう。エクレアもミライアも黙ったままだ。

 そして、やはりサスケはなんともないように足を運んでいる。―汗を滴らせてはいるが。

 更に魔物との戦闘も余儀なくされた。面倒なので晶術で一掃したりしながら先を急いだ。

 夜になり、いつも通りサスケが火の番をすることになり、四人はテントの中で寝た。

 サスケは人格を戻すと、久しぶりの野宿を当たり前のように過ごしていた。

「…………」

 裏サスケもいるが、話すことがなく、しばしの沈黙が流れた。

 それを破ったのは、一つの光だった。

「あれ……?」

 目の前に現われた光を見て、サスケは首を傾げる。現われたのはウンディーネだった。

「どうしました?」

 なにとなくサスケは訊いてみる。

 だが、黙ったままウンディーネはサスケを見つめている。

(この少年は………)

 それから俯いて、しばらくそのままでいた。

「あのー……」

「えっ、あ……」

 考え込んでいたので、サスケがいきなり目の前にきていたことに多少驚いてしまう。

「どうしました?」

 もう一度訊いてみる。ウンディーネは表情を穏やかにすると、静かに言った。

「あなたのような方が……珍しくて」

 一瞬、呆然と彼女を見ていたが、またそんなことか、とサスケは肩を落としてため息を吐く。

「はあ……、いつも言われてますよ……」

 ふてくされたような表情で言うサスケに、ウンディーネは思わず笑ってしまう。

「可愛いですね」

 はあ、とサスケはもう一度ため息を吐く。

「なんでみんなで僕にそう言うのかなあ……」

 ウンディーネはサスケの横に並んで、彼の横顔を見る。

「あなたの中にいる彼は、この先、あなたの力となってくれるでしょう」

 裏サスケのことを話し出して、サスケはハッとなる。裏サスケも、黙ってそれを聞いていた。

「どうしてわかったんですか?」

 サスケが訊いてみると、

「大晶霊ですから」

 と、あっさり流される。

「はあ……」

 納得していないまま、サスケはそこで話しを切った。そして、薪を火の中に投げ入れる。

「………………」

 ウンディーネは、黙ってサスケを見ている。

(そして……彼は、いつかあなたを………)

 そして、光と共にウンディーネは消えていった。

 

 

 

 翌日に山の山頂まで登っていた。結局ここまでシルフには会うことはなかった。

「いないな……」

 シヴァは、崖の端にある、三本の石の支柱を眺めながら言う。

「違ったのでしょうか?」

 ミライアは疲れたのか、木の影に座って休んでいる。隣でサスケも目を瞑って息を整えている。

「仕方ない、一旦戻るか」

 諦めてシヴァが言い、その場を離れようとした。

 しかし、戻ろうとする五人の周りに、突如突風が吹きつけた。

『ちょっと待ったー!!』

 すると、突風の中から、なにやら声が聞こえてきた。少女のような声音だ。

「あー、もしかすると……」

 カーシスが来ましたとばかりに剣を抜く。

 だが、その反応をよそに、風は収まっていった。

「もう、気が早いんだから」

 半ば怒ったように出てきたのは、背に羽を背負っている大晶霊のシルフだった。短めのローブを着ていて、可愛らしく頭に藍色の髪留めを付けている。

「あなたが、大晶霊のシルフ?」

 エクレアが訊いてみる。

「そうよ。他に誰がいるのよ」

 胸を反らせながらシルフは言った。変わった性格だな、とサスケは思った。

「シルフさん、あのー……」

 契約の話しを持ちかけようとしたが、シルフにそれを遮られてしまう。

「なによー? っていうかあんた……」

 シルフはそう言うと、ふわりとサスケの周りを飛び回り、しげしげと彼を眺める。

「可愛いわねー、胸ないけど。ここまで可愛い子見たことないわよ」

 感心したように言ったが、サスケは酷く不快に感じたのか、俯いてしまう。

「ん? どうかしたの?」

 その反応に、シルフはサスケの顔を覗き込もうとする。

「ねえシルフ……」

 エクレアがそれを遮って、シルフに言う。

「サスケは男よ」

 聞いたシルフは、驚いてサスケの顔を見る。どう見ても女の子よ、と言いながら、話しを逸らすようにくるりと振り返った。

「と、ところで、あたしになにか用? ここまでくる人間はそうはいないわよ」

 ようやくか、とシヴァは歩み寄り、声を張る

「大晶霊シルフよ、我らと契約を申し立てたい! どうか力になってはくれないだろうか?」

「じゃあいくわよ」

 即答でシルフは手に持った弓を引き絞った。

 ビュッ、と風が鳴り、数本の矢が放たれる。

「いきなりかよ!」

 カーシスはそれを剣で弾くと、シルフの肩口に斬りかかった。

「まだまだぁ、エアスラスト!」

 息も吐かぬ間にシルフは晶術でカーシスを押し返した。

「気が早いのはどっちよ……」

 呆れてカーシスと入れ替わるようにエクレアが地を蹴った。

 飛燕連脚を放ち、シルフの胸に衝撃が走る。

「いったーい……もう!」

 胸を抑えながらシルフは急上昇し、攻撃の届かない範囲に逃げた。

 そこを狙ってサスケが晶術で攻める。

「スプラッシュ!」

 水流がシルフを地面に叩きつける。

 キャッ、と短い悲鳴を上げながらも、シルフは弓を構える。

「えい!」

 もう一度数本、矢を飛ばしてきた。その矢はサスケに向かってきて、彼は瞬時に回避した。だが、

「え!?」

 突如矢が軌道を変え、追いかけるかのようにサスケに向かってくる。しかしそれをなんとか叩き落す。――サジタリウスアロー。追跡する数本の矢を放つシルフの技。驚くサスケを見ながら、それを得意げに眺めるシルフだが、シヴァの槍がそれを許さなかった。

「はあ!!」

 流れるように槍を突き出し、シルフを貫く。だが、それほど痛みはないようだ。

「痛いわねえ! なにするのよ」

 これは戦いだろう、とシヴァは言う。そうだった、とシルフは空中を舞うように飛ぶ。

「スラストファング!」

 それを止めようとミライアが晶術を唱える。だが、シルフの動きを捉えることはできない。

「天空の風よ! 降り来たりて龍と化せ!」

 突然シルフが詠唱を始めた。聞いたことのある晶術に、シヴァは思わず叫ぶ。

「皆、逃げろ!」

「遅いわ!! サイクロン!」

 弓を振り上げたシルフの周りから、突如烈風が巻き起こる。それは竜巻となり、五人を囲むようにして切り刻んでいく。

「きゃああ!」

 ミライアが悲痛を漏らす。

 サスケはそれを見て、巻き上げられながらも双剣を抜いた。

 やがて竜巻が収まり、五人が地上に落下するところを、シルフは弓で狙いを定める。

「幻影刃」

 そこに空中からサスケが斬りかかる。

「ああ!」

 不意を突かれてシルフは怯んでしまう。そこにエクレアの一撃が入る。

 食らったシルフは吹き飛び、地面にゆっくりと落下していった。そして起き上がると、スッキリしたような表情で五人を見る。

「あーあ、負けちゃった。強いわねえ、あなたたち」

 感心しているのか、何度も頷きながらシルフは言う。

「それでは契約のほうを」

 さっそくとシヴァは話しを持ちかける。

「いいわよ。それじゃあ頑張ってねー」

 手を振りながら、シルフは光の粒子となって消えていった。

 一段落した山頂で、サスケは近くにそびえている樹に背を預けた。

 それから少しの間その場で休息を取り、五人はノグリズ山脈を下山していった。

 大晶霊との契約が順調に進む中、シヴァは段々と自分に自身を持っていった。だが、それを掻き消さんばかりの光景を彼らは見た。

 悶絶した。ファーエルの大陸一部が、唸るが如き炎を噴き上げて、赤々と燃えているのだった。

 

                                               十五章 水と風の乙女たち 完