十六章 燃える大地
炎上している大陸の平原跡を眺めながらサスケは気配を感じた。
五人はノグリズ山脈を下山し、すぐに炎上している場所へ向かっていったのである。一日かけて休む間もなく辿り着いたところは、すべてが燃え尽きたような、そんな場所だった。
気配のしたほうを振り向く。だが、そこにはなにもない。
(気のせい………か)
サスケは首を傾げた。いまは気配などは微塵も感じられないこの場所で、五人だけでいるのだ。周囲の森は燃え尽き、一面を見渡せる位置に立っていた。
「ひでえ……なんてことしやがる…!!」
憤慨したようにカーシスは怒りを露にする。拳を握り締め、血が滲むほど強く、――それをサスケが押さえる。
「こんなことする奴は、一人しかいない……」
静かにシヴァは言う。
「ダンティンス……」
エクレアがそれに続いて答える。
隣で、ミライアは涙を流しながら、要請されたファーエル国の兵士が、炎に焼かれた死体を運ぶのを見ている。だが、耐えきれずに目を逸らしてしまう。
そこに一人のファーエル兵が歩み寄ってくる。
「サスケ様ですね?」
「はい…」
訊かれたサスケは答える。
「国王からお呼びがございます。至急、城へ向かってくれとのことです」
サスケは仲間を順に見て、そして黙って頷いた。
城で国王の顔を見たとき、不意に懐かしさを感じた。あの場所だけ、時が早く進んでいたと感じるように、時間の感覚が麻痺しているようだ。
「一体どうしたというのだ……このようなことが起こるとは……」
国王は俯いたままサスケたちの話しに耳を傾けた。そして、すべての元凶はダンティンスだと解釈する。
「そうか……その男が……」
もはや話す言葉もないように、サスケに背を向けたまま黙ってしまった。この一大事に、父であるランティスは丁度村へ帰っているようだ。姿が見当たらない。
謁見の間を後にする五人。その中でサスケは、帰り際に国王に言った。
「ダンティンスは僕たちが倒します」
落ち着きをはらった声でサスケは言って、早足で城から出た。
脳裏に甦るのは、夥しい数の運ばれていく死体。咽返るような臭い。明々と燃える炎。
耐えきれなくなり、サスケは城壁に背を預ける。
「……シヴァさんの言う通りでしたね」
なんの話しなのか、サスケは突然言い出した。
「急がなければ、そう言っていましたよね」
「ああ、ダンティンスは俺の時代でも殺戮を………」
カーシスは城壁を拳で叩く。
「許さねえ……あいつだけは!」
惨状が目に焼きついて離れない。したたか拳を打ちつけ、掌を赤く染める。
それをエクレアが手で制する。
「やめて……そんな手になったら、剣を握れなくなるじゃない」
大人しく拳を下ろしたカーシスは、これからどうするかシヴァに訊いた。
「とりあえずは、大晶霊を探そう。いまは……それしかできん」
重い足取りで、五人は旅を続けた。
だが他に行く当てもなく、仕方なく船でラディスタに向かい、そこからエルフの里にいるリフィに会いに行くことになった。
「…………」
船室で、ミライアは一人で俯いてベッドに腰を下ろしている。
焼け野原を思い出すたびに胸が苦しくなる。気分が悪いというべきか、顔は酷く青ざめている。
そこにドアが開く音がした。
「あれ…? ミライアさん」
高い声でわかった。現われたのは自分より背の低いサスケだった。
「あ……」
顔を上げようとしたが、なぜかより俯いてしまった。
てっきり部屋には誰もいないと思っていたサスケは、ミライアを少しその場で眺めながら、傍まできて腰を下ろした。
「嫌だったですね」
大体なにを考えていたのか見当がついていたので、サスケは言ってみた。
「……はい」
ミライアは俯いたまま答える。
「僕も……恐かったです。あんなことになるって、思いませんでしたし…」
堪えるようにサスケはゆっくりと言った。
「あら?」
すぐ傍の通路をエクレアが通っていた。半開きになっている自分たちが取っている船室のドアから声が聞こえてくると、そっと近づいて中の様子を見てみた。
サスケとミライアが隣同士ベッドに腰を下ろしているのが見えた。
(あ……)
なにかミライアの様子がおかしいと思いつつ、その場を動かないで窺っていた。
「私……あんなに人が死んでしまうなんて…、あんなに……人が………あんなに…」
震える声でミライアは話そうとした。しかし言葉が上手く出ない。
思えば彼女は、もともと戦いとは無縁の、なに不自由ない生活を送ってきた、普通の少女だったのだ。いくら旅に慣れ、魔物と対峙し戦えるようになったとしても、幾数千人の死を目の当たりにしたら、恐怖で一杯になってしまうだろう。
「そう……ですね」
震えているミライアの手を見て、サスケはゆっくりとそれの上に手を重ねた。
暖かい手の感触が伝わり、ミライアの震えが収まる。
「けど、僕も頑張りますから……大丈夫ですよ。ね?」
優しい表情と共に、サスケはミライア重ねている手を握った。彼女の手を包んでしまう。
「……はい」
気がつくと、ミライアの頬に涙が伝っていた。面を上げサスケを見ると、彼のか細い胸に寄りかかる。
「私も、頑張ります。もう、こんなことが起きないように……」
サスケはミライアの頭を撫でて落ち着かせようとする。しばらくそのままの体勢でいた。
「…………」
その光景を見ていたエクレアは、声も出ずに息を呑んだ。
なぜか、自分の知っているサスケが、どこか遠くに行ってしまったような、そんな思いが過ぎった。
同時に、無性に腹が立つ思いだった。
それから黙って、その場から離れていった。
船が港に着き、街道を歩きエルフの里に向かおうとしたときにカーシスが言った。
「なあ……俺らって、歩いて里まで行ったことないよな?」
突然言い出したカーシスの言葉に、シヴァは焦りを感じる。
「そ、そうなのか?」
「大丈夫ですよ!きっとなんとかなりますよ」
だが気にしないように、ミライアが元気よく言った。
「うーん……、まあそうだな」
気を取り直してカーシスはまた歩き出した。
そしてミライアを見ながら、
(なんか感じ変わったな………?)
と、サスケとエクレアのほうも見ながら思った。
サスケはいつも通り、気の抜けた表情で後ろをのんびりと歩いている。
そしてエクレアとミライアが入れ替わったようにお互いに雰囲気が違っていた。
サスケより更に後ろを、ふてくされた表情で着いていっているエクレアと、普段はあまり話さないミライアが表情を緩ませて、それぞれ歩いていた。
エクレアの機嫌が悪そうなので、そこには触れずにカーシスは先を急いだ。下手に訊こうとすると、容赦のないエクレアの拳が腹にめり込むからだ。
「おっと……、なんか草原に出たみたいだな」
カーシスがいち早く街道から抜け出た先には、辺り一帯が草原の地帯だった。
他の仲間も街道を抜けると、その広大さに目を見張る。
「凄いですねー……」
辺りをぐるぐると見渡しながらサスケが言う。
「丁度いい、ここで休憩でもするか。歩きっぱなしだったからな」
珍しくシヴァが休憩を勧めた。カーシスはそれを聞くと、嬉しそうに地面に寝転がった。
「やり−! 気持ちいいぜ」
風が吹くたびに草の香りが広がっていく。思いきり息を吸いながらカーシスはその香りを楽しむ。
ミライアも座り込み、嬉しそうに辺りをうろうろと歩いているサスケを眺めている。
「あ、エクレアもそんなところに立ってないで、こっちにきてよ」
サスケは一人離れて棒立ちしているエクレアに近づき、腕をやや強引に引っ張った。
「あ、ちょっと……」
突然腕を引かれたエクレアは踏み止まろうとする。
「!」
「!」
だが、それよりも早くに二人の動きが止まった。
「どうしたサスケ……」
二人がおかしな動きをしているように見えたシヴァは近づこうとした。
「離れて!!」
エクレアがいきなりシヴァを突き飛ばした。
それより一瞬遅く、先程までシヴァのいた場所に落雷が降り注いだ。
「な………!」
驚いてシヴァは体を起き上がらせる。その後ろに、いつのまにかカーシスが近づいていた。
「気をつけろよ……なんかいるぜ」
油断せずカーシスは剣を抜く。シヴァもエクレアも、それぞれの得物に手をかける。
待つと、突如魔方陣が現われた。そこから数体の魔物が現われてきた。
(魔方陣……か)
シヴァが薄れていく魔方陣を見ながら、そこから出てきた魔物に向かい槍を振う。
「甲竜破!」
大きく横薙ぎに振り切った槍が二体の魔物を薙ぎ払う。そこにミライアが晶術で止めを刺す。
「とりあえず……昇連斬!」
近くに現われたスピリットをまとめてエクレアは大剣で斬り上げた。
それで魔物たちは全滅した。
「なんだよ、あっけねえな……」
呆れたかのようにカーシスは溜め息を吐く。
「いや……」
だがサスケは何度も辺りを見渡した。そして刀を抜き、それを一点に投げつけた。
投げられた刀は、なんの変哲もないところを飛んでいったが、急になにか見えないものに弾かれてしまった。
「そこか……」
確認してシヴァは晶術を唱えた。風が刃となりその位置の空気を切り刻む。
そして、そこから出てきたのは、一人の男性であった。
銀の髪を腰まで伸ばしていて、服は袖の長い青を基調とした服装で、腰には剣を下げている。
シヴァは、その男を見て悶絶した。
「お、おまえは……」
カーシスがその男を見て息を呑む。
「ヴィレクト……!!」
しかし、男の名前を言ったのはシヴァだった。
「知り合いなの?」
エクレアが近づいて訊いた。
「ああ、あいつは俺の仲間……」
「敵、だろう? シヴァ……」
シヴァが言うのを遮るかのようにヴィレクトが言った。
「おまえがそいつと行動を共にしていることでな!」
吐き捨てるように言ったヴィレクトは、サスケに対して怒りの眼差しを向けた。
「…………僕?」
話しがわからないサスケは、思わず首を傾げた。
『ヴィレクト!』
そのサスケの中から、声が響いてきた。同時に瞳が暗くなる。
「なぜここにいる……」
ふん、と突き放すようにヴィレクトは顔を背けた。
「無論、貴様を殺す為だ」
黙ってサスケは聞いていた。そのまま続けてヴィレクトが言う。
「たしか先程……シヴァに『サスケ』などと呼ばれていたな。ヘアルレイオス辺りの名前か……貴様にはその下衆めいた名前で充分だ」
この話になると、全く状況が理解できないエクレアとミライアは、シヴァに事を訊いた。
「ヴィレクト……あいつは、あいつとサスケの関係は、主従関係と言ったほうが早いのか……いや、ヴィレクトの家は代々、サスケの住んでいた屋敷に仕えてきていたんだ。勿論、それは昔の話であって、サスケたちの頃になるとそんなことは関係なかった」
サスケを睨むヴィレクトを見ながら話を続けた。
「共に同じ屋敷に暮らしていた。そこに住んでいる者は皆、家族だと、昔のことはとうに終わったことだと……。だが……屋敷で、ヴィレクトの家族は……」
「今日、ついに貴様に殺された、両親と、妹の仇を取れる」
シヴァが話す前に、ヴィレクトがそれを述べた。
「違う」
だが、サスケは静かに首を振った。
「今更なにを言う……私は見た、血を流し倒れている妹の・・・目の前で、貴様が剣を握っていたのをな!!」
有無を言わさず、ヴィレクトは剣を抜き、猛然とサスケに襲いかかる。
「やめろヴィレクト!!」
だがサスケは剣を抜かず、その太刀筋を避ける。
「死ね!」
だが、避けた隙を狙い剣の軌道を変えた。反射的にサスケは刀を抜いてそれを受け止めた。
「ぐ……」
無理にでも抜刀させられたサスケは、距離を取るべく後ろに下がった。
その光景を見て、エクレアが大剣を構える。
「話しはよくわからないけど、つまり……いまは、あいつは敵ってことよね」
「そうとしか見えねえな」
カーシスも剣を抜き、サスケを庇うべくヴィレクトに向かった。
「はあ!!」
だがそれよりも早く、ヴィレクトの斬撃がサスケの肩を捉えた。
「ぐううう………」
食らったサスケは、がっくりと膝を突いてしまう。
「サスケさん!!」
それに反応して、ミライアは晶術を唱える。
「スラストファング!」
「邪魔をするな!!」
だが、それをものともせず晶術を剣で防ぎ、ミライアに衝撃波をぶつけた。
「きゃあ!」
「ミライア!!」
後ろに投げ出されるミライアを気遣いながら、カーシスはヴィレクトに斬りかかっていく。
「剛天撃!」
岩鬼をヴィレクトに飛ばした。だがそれも剣の一閃でいとも簡単に弾かれてしまう。
「鷹爪蹴撃!」
そこに空中からエクレアの一撃が入る。
「エアプレッシャー!!」
しかしそれごとカーシスとエクレアを晶術に巻き込み、弾き飛ばした。
「くっ……やめろヴィレクト!!」
シヴァは舌打ちをしながら、ヴィレクトの斬撃を受け止める。
「今更こんなことをして、なにになるというんだ!」
「黙れ! いくらおまえだからとも、邪魔をするなら容赦はせんぞ!」
聞く耳を持たないヴィレクトは、強引にシヴァを弾き返すと、剣を構えた。
「弧鴬雷!」
放電した刀身ごとシヴァを斬りつける。
「ぐ……おおおお!!」
痛みの感覚が麻痺するくらいの電撃を受けたシヴァは、その場に倒れ伏せてしまう。
「いま楽にしてやろう……」
ヴィレクトは自分の足下に伏せているシヴァに剣先を突きつける。
「はあ!!」
だが、間一髪でサスケがそれを受け止めた。
「貴様……!」
サスケを見るなり、憎悪をたぎらせるヴィレクトに、サスケは叫ぶ。
「こんなことを……、こんなことをしてなにになる!あなたは一体……」
人格を入れ替えたのか、元のサスケに戻っているのを、ヴィレクトは面白そうに笑う。
「ははは! 怖気づいたか! わざわざ自分が戦わないとはな」
「これは、僕自身の意思です……。あなたと彼は戦わせてはならない…………!!」
そのままサスケは剣を払いヴィレクトを退かせる。
「……まあいい、いまの貴様を殺せば、あの男も共に消えるのだからな…………」
ヴィレクトは急速にサスケとの間合いを詰めてきた。斬撃を繰り出すが、サスケはそれを避け、横薙ぎに刀を振う。
だがいとも簡単に防がれてしまう。しかし、ヴィレクトが防いだ隙を見逃さず、サスケはヴィレクトごと剣持ち上げ跳躍した。
「裂空旋!」
無防備になったヴィレクトの胴体に斬撃を浴びせ、空中で突き飛ばす。
痛みで顔を顰めながらも、ヴィレクトは反撃のために晶術を唱える。
「ネガティブゲイト!」
闇黒の空間がサスケを包み、激痛を浴びせる。
「ぐうう……」
共に落下し地面に体をしたたかにぶつけた。這いずるように地べたから面を上げる。
「やるようだな……だが!!」
ヴィレクトは起き上がり、体制を立て直した。
「く…………」
サスケも引かずに立ち上がり、後ろで倒れている仲間を庇うように刀を構える。
突如、ヴィレクトの体が闇に包まれた。
闇の奥で嘲笑を見せると、両手を掲げた。
「極光の洗礼を受けよ!!」
上空からすべてを呑み込むような巨大な闇が押し寄せてきた。
呆然とサスケはその光景を見続けていた。だんだんと闇が近づいてくる。
次元が違い過ぎるその晶力を肌で感じ取って、とっさにその場から離れようと後ろを見た。
――だが、そこには仲間たちが倒れていた。
(逃げられない……か)
目を閉じてサスケは巨大な闇に対峙した。
「皆だけは……守る、絶対に……」
次第に闇が迫ってくる。サスケは晶力を高めた。すると、体全体が淡い光を帯びる。
(駄目だ……サスケ、止せ!!!)
それを制するかのように、もう一人の自身が叫び、それと共に、闇がすべてを呑み込んでいった。
まだ闇が晴れないその場を見ながら、驚きの表情で地に伏しているサスケを見つめているヴィレクトがいた。
なにを思っているのか、躊躇するかのように背を向け、ヴィレクトは目を閉じて言う。
「さらばだ……」
そう言い残すと、静かに、その場を去っていった。
周囲には、いまだ闇黒の渦が取り巻いていた…………
木造の家からエクレアが出てきた。
手には桶を持ち、水を汲みに川へと向かっていった。
その様子を戸口からカーシスが家から眺めている。周りにはエルフたちが道を行き交っていた。
ヴィレクトが去った後、カーシスたちは目を覚まし、自分たちの周りの惨状を呆然と見つめていた。
すぐ傍でサスケが倒れているのを見つけたとき、すぐに自分たちを庇ってくれていたのがわかった。自分たちはその中でまったくの無傷だったからだ。
抱き上げたとき、サスケは血に塗れていて、息遣いを荒くしてカーシスたちに目を向けた。
「……よかった」
それきり、サスケは気を失ってしまったのである。
そのサスケを治療しながらエルフの里まで連れていき、エフィアの家に着いたときに、本格的にエルフの晶術で傷を癒してもらっているのであった。
「あの……」
後ろからエフィアが声をかけてきた。
「サスケ君が、目を覚ましましたよ」
驚いてカーシスは目を見張った。
「本当か!?」
慌てて家の中にカーシスは入っていき、サスケを寝かせている部屋へと駆け込んだ。
ミライアやシヴァ、リフィもいる中の部屋に、カーシスは入るなり安堵して床にへたり込んだ。
ベッドに横たわっていたのは、傷が癒えぬままだが、薄っすらと瞼を上げているサスケがいた。
包帯を腕や胸に巻きつけられたままだった。エルフが回復晶術を唱えても、なぜか効果が殆ど現われていなかったのが事実だった。
「……………」
黙ったままサスケは木造の天井を見つめていた。そこにミライアが声をかける。
「サスケさん……」
しばらくサスケは答えなかった。やがて、ゆっくりと首を動かすと、ミライアを見た。
「……おはよう、ございます………」
微かに微笑みながら、サスケは軽く頭を動かした。
「おはようじゃねえよ!!」
そこにカーシスが声を張って傍に寄ってきた。
「心配させやがって………」
「うん……ごめんね」
「もう大丈夫なのか?」
見る限り大丈夫とは思えないサスケの様子を見ても、シヴァはあらためて訊いてみる。
「はい……けど……」
サスケはなにかを堪えるように、自分の胸に手を当てて続けた。
「あの方が……僕より苦しんでいると思います」
あの方、とは裏サスケのことだろう。シヴァは大丈夫だと言い、サスケの肩を叩いた。
「おまえが大丈夫ならあいつも無事だ。とにかく、早く傷を治せ」
そういうと、シヴァは部屋から出ていった。
安否を気遣われたのが嬉しかったのか、サスケは頬を緩ませ、再び瞼を閉じた。
居間に戻ったシヴァは、丁度戻ってきたエクレアと鉢合わせてしまう。
「サスケが目を覚ましたぞ」
簡潔にそれだけ言うと、聞いたエクレアの動きが止まる。
「また眠ってしまったが……」
それだけ聞くや否や、エクレアは手にした桶から水が零れるのも構わず、部屋に走っていった。
勢いよくドアを開け放つと、そこにはサスケが寝ていた。
外に出るときと変わらずに寝ているその姿を見ると、つい不安になってしまう。
「大丈夫だっての。さっきまで起きてたよ」
なにも言わずに腕を引かれたカーシスは、急かすなとばかりに答える。
それを聞いて安心したのか、エクレアは溜め息と共に胸を撫で下ろす。
「……よかった」
それからエクレアは部屋から出ずにサスケの傍にいた。
二日程経つと、サスケは呑気に欠伸をしながら再び目を覚ました。
エクレアが大丈夫かと訊くと、
「うん、大丈夫だよ」
と、いつも通りの返事が返ってきた。
そこに横からカーシスが出てきた。
「お、元気になったか?」
「カーシス、心配かけてごめんね」
一昨日の会話を覚えていたのか、サスケはもう一度カーシスに言った。
「おう、気にするなよ。ほら! メシ食おうぜ」
機嫌よくカーシスが部屋から出て行くのを見送ると、エクレアがサスケに言った。
「もう、こんな無茶なことしないでよ……」
俯き加減で言うエクレアに、サスケは頭を軽く叩いてやる。
「わかってるよ」
そう言うとベッドから降りて、朝食に向かった。
簡単に朝食を済ませ、五人はエフィアとリフィに礼を言うと、港に向かって再び歩き出した。
途中の魔物は、サスケが病み上がりなので戦いには参加しなかった。
襲ってくる魔物は、殆どがサスケに向かう前に斬り倒されたり、殴り飛ばされていったりと、まったく心配することはなかった。
「八葉連牙!」
エクレアの連打が決まると、最後の魔物はそれきり動かなくなった。
「それにしても、魔物がたくさんいますね……」
ミライアは戦闘で怪我をしたカーシスに回復晶術を唱える。治っていく様子をまじまじと見ながらカーシスは腕を突き出している。
「もう少しで森を抜けるな」
シヴァが森の出口を視界の端に見据えると、そう呟いた。
「次はヴォルトとの契約ですからね。船あるでしょうか?」
サスケは次に会うつもりの大晶霊、ヴォルトのことについて話し始めた。
歩きながらそれとなくヴォルトの容姿や能力、色々なことを話しに持ちかける。
「けど、ウィンレイ遺跡にいたなんて、ちょっと惜しかったかな」
五人が次に向かう場所はウィンレイ遺跡だとリフィが教えていた。そのために港からエルフを乗せる船に乗るつもりでいた。
そして以前、シヴァ以外はウィンレイ遺跡に一度訪れたことがあるのだ。そのときにでも見つけていれば、とサスケは少しばかり惜しいと思っていた。
そんなことを話しているうちに港に着いていた。
辺りには人が行き交うが、殆どエルフの姿が見えないので探すのに苦労した。
以前エルフはラディスタでは移動を制限されていると言われたことを思い出し、仕方ないので直接それぞれの船の船員に訊いてみることにした。
丁度手前に、水夫が一人のんびりと歩いているのが見え、試しにエクレアが訊いてみた。
「すみません、失礼ですがここから島に行く船があるかご存知ですか?」
一応丁寧に話したのだが、慣れていないせいか恥かしく、どうにもぎこちなかった。後ろで聞いていたカーシスはそれに思わず笑ってしまう。それから邪魔にならないようにその場から離れていった。
訊かれた水夫は、エクレアをまじまじと見ると、愛想良く話し始めた。
「一人かい?」
予想していたのとまったく関係のないことを訊き返され、思わずエクレアはきょとんとなった。
「え? まあ……」
とりあえず曖昧に答えておく。そして水夫が本題に移り、
「そうだね、たしかどこかの島で、資材を補給してくるっていう船が一隻だけあったな……」
と言われ、途端にエクレアの表情は明るくなった。
「そうですか! ありがとうございました」
きっとその船だとエクレアは思い、一礼すると急いでサスケたちの待つところへと行った。
「どうだった?」
カーシスが顔をニヤニヤさせながら訊いてくる。
「資材補給の船が一隻だけあるらしいわ……って、なによその顔」
訝しげにエクレアはカーシスの表情を見る。あまりに不自然なので、サスケに訊いてみる。
「ねえサスケ、カーシスって私が話しているときになにしていたの?」
素直にサスケは答える。
「え…っと、たしか笑ってたよ?」
その一言で充分に理解できた。
「ふうん……、そう。カーシス、あとで覚えておいてね♪」
その言葉で理解し、にっこりと笑ってエクレアはカーシスに言った。その笑顔が逆に怖くなり、カーシスは思わず目を逸らした。
「ありがとねサスケ、教えてくれて」
そう言うとサスケの頭を軽く撫でてやる。それでも頭が振られるので、少しサスケは嫌そうな顔をしていた。
船に乗るとエルフがいて、エクレアの聞いたことに間違いはなかった。
出航すると、それぞれ自由に船の中を移動して、サスケはどれくらいで島に着くのかエルフに訊いていた。
「大体は二日目の明け方に着きますよ」
そういうことで、サスケは二日暇を持て余すことになる。
「暇になりますね」
裏の自分に呼びかけてみた。ヴィレクトと戦ったときの傷―─なにかは分からないが、恐らくは心の傷なのだろうと推測が立っている─―を心配していて、探るために訊いてみた。
(そうだな……)
案の定気のない声が聞こえてきた。浅く溜め息を吐くと、サスケは更に訊いてみた。
「あの人はなんだったんですか?」
(なんでもない)
即答で答えられてしまった。どうしてか話したがらないのか、裏のサスケはそれ以上訊かれても口を開かなくなってしまった。
「退屈だなあ…………」
言いながら通路を歩いていると、反対側からカーシスがこちらに歩いてきた。
「あ、カーシス……」
近づいてきたところに、サスケは呼んでみたが、様子がおかしいことに気づいた。
見ると顔のあちこちに殴られたような痕が残っていた。不思議に思いそれとなく訊いてみる。
「どうしたのその顔、誰かと喧嘩でもしたの?」
訊くとカーシスは一瞬、こちらを睨んできたような気がしたが、顔を背けてしまう。
「なんでもねえよ」
短く答えると、借りている部屋へと戻っていってしまった。
どうしてああなったのかと思いながら甲板へと上がり、外の風に当たった。
誰もいないような場所を探しているうちに、偶然エクレアを見かけたので声をかける。
「なんだか元気そうだね」
妙に上機嫌に見えたエクレアの表情を見て、サスケはそう言ってみた。
「そう? ついさっきカーシスと歩いていただけよ?」
その一言を聞いて、サスケはカーシスのあの腫れ上がった顔がどうしてそうなったのかが分かった。
エクレアが殴ったのだろうと納得して、注意してやる。
「ダメだよ、カーシス殴ったりしちゃ…痛いでしょ?」
知っていたの、と言わんばかりにエクレアは苦い顔をして、サスケに渋々謝った。
「むう……ごめん」
仕方なく謝ると、サスケがそこで一言、
「エクレアだって、可愛いんだからそんなことしていたら台無しになっちゃうよ」
と面と向かって言った。
聞いていたエクレアは自分の耳を疑ったかのように、サスケのいま言ったことをもう一度思い出す。
“可愛いんだから”と言われたところが何度も頭に響いてきた。
「どうしたの?」
そこにサスケがいきなり顔を覗かせてきた。思わず上体を仰け反らせてしまう。
「えっ、いや……あの…ね」
言葉に詰まってエクレアは落ち着かなく辺りを見渡した。
特に何事も無く、サスケに可愛いと言われただけであるが、どうしてか最近は何気ないサスケの言動に敏感になってしまう。
「まあいいや。それじゃあ僕は部屋に戻るよ」
返事を聞かないまま、サスケはその場から離れていってしまった。
そこにエクレアは一人で残されてしまった。
「あ……んもう……」
いなくなったのは少し寂しかったが、その反面気が楽になりエクレアは深く息を吐いた。
夜も更けて、夕食を済ませると各々部屋に戻ったが、サスケは一人甲板へと向かった。
外に出ると、夜風が吹いて寒さを感じた。だが構わずに船の裏、昼間いた場所に向かう。
特になにをするわけでもなく、ただ夜空を見つめていると、裏サスケが声をかけてきた。
(どうかしたのか?)
訊かれたサスケは、動かずに答えようとする。
「ちょっと……空──」
と、言いおうとしたとき、胸を締めつけられるような激痛が襲った。
無言でサスケは胸を抑えると、その場に膝を落としてしまう。
(お、おい、大丈夫か?)
不安げに裏サスケは訊いてみる。本来ならば自分も同じ痛みを感じるはずなのに、なぜかそれがない。
(やはり……サスケ、おまえは…………)
そこである事実に気づいた。だがそれを訊かずにいる。
(無理はするな。少し休んだほうがいい…………)
裏のサスケがそう言うと、黙ったままサスケは頷き、部屋へと戻っていった。
夜空を照らす月が、徐々に雲に覆われ、やがて闇が生まれてきていた。
十六章 燃える大地 完