十八章 再び
「いいから避けろ!!」
サスケは、異常が起きている大晶霊の側へと行こうとした。が、その刹那カーシスが体当たりでサスケを横に弾き飛ばす。
そのときだった。大晶霊は腕を振り上げると、無数の氷柱を先程までサスケがいた場所へと襲わせた。磨かれた氷を貫き、足場に水が溢れてくる。
(くそ……カーシス!! 代われ!)
奥底で呼びかけられる。既にこの感覚には慣れているカーシスは静かに目を閉じ、そして意識を入れ替えさせる。
「おおお!!」
側面から大晶霊へと斬りかかる。しかし、その斬撃はもう少しというところで阻まれてしまった。予測していたかのように、氷の大晶霊は腕に氷の手甲を備えてカーシスの剣を受け止めたのだ。
「くっ……」
青色の長い丈のスカートを翻し、カーシスの腹部に蹴りを放ち、大きく吹き飛ばす。
「はあ!!」
蹴りの隙を突いて、入れ替わりにエクレアが大剣を投擲する。真っ直ぐに大晶霊へと飛んでいく大剣だ、当たれば致命傷は避けられないだろう。が、
「……はっ!」
大晶霊はカーシスを蹴った右足をそのまま身体ごと回転させた。半回転したところで更に左足で背面蹴りを繰り出し、そのままエクレアに大剣を打ち返し、その先端を襲わせる。
「ええっ!?」
思わず情けない声を上げてエクレアはその場をステップで離れる。ギリギリで避け、そのまま大剣は床に突き刺さる形になってしまった。
「ちょっと……強いでしょ…………」
エクレアは息を呑む。その隣でカーシスは、余程重たい蹴りを食らったのか、かなり苦しそうに腹を押さえている。
「セルシウスよ!! 私の声が聞こえないのか!?」
それでもと、シヴァは大晶霊に呼びかける。
しかし、どうあってもセルシウスは表情を崩さない。いや、その表情は常に殺気に満ちている。動かない操り人形のように腕は力無く垂れ下がっていて、静止している状態では少しばかり前屈気味な姿勢になっている。
「……サスケっ!」
シヴァはセルシウスの動きに警戒しつつサスケの側へと近付く。決して、槍の矛先は下げないように、反撃の構えをとっている。
静かに、サスケは頷いた。
分かっている。セルシウスはただ“支配されているだけ”であるということを。
それを物語っているのが……。
「――!!」
そこで思考を中断される。躊躇することなくセルシウスは二人へと向かっていく。
拳と、蹴りが、それも同じく体術を使うエクレアとは比較するのも失礼、という程のキレとスピードを携えて襲い掛かってくる。
それでもサスケは瞬時に、シヴァがその二撃を槍の先端と柄で防いだところで相手の死角を判断する。
彼の結っている長髪の真上を飛び越え、そしてそこから更にセルシウスの背後へと着地する。
(くっ……!)
着地の衝撃を緩和するべく身体を崩し、そのまま右手を刀の鞘へと軽く乗せ、左手で柄を握り、そして抜刀する。力で足りない部分は技術で。左足を軸にして大きく円を描くように刀を振るう。
そう、振るうはずだったのだ。
「……か…………っは……ぁ……」
どうしてか、半ば刀を抜刀したところで、サスケの動きは止まっていた。
セルシウスは確かにシヴァに攻撃を防がれていた。四肢のうちの二箇所をも攻撃へと向かわせれば、身体を支えるために動きは止まっているのが普通であろう。
だが、そこには大きな誤算があった。
目の前に佇む深い青髪の、丁度サスケと同じような色彩だが輝きを携えているように見えるそれをなびかせ、肩を露出させていても手の先にまで届くほどの長い袖が揺らぎ、髪と同じ色の布をスカートのように腰から足へと、革ベルトのような物を使い巻きつけて、足の露出を留めているその相手は、一見すると自分たちと同じ人間のように見える。
だが、彼女は大晶霊なのだ。
足があり、それでいて宙を舞える。そう、カーシスへの初撃のときからセルシウスは足を地に触れさせてはいない。ただ、青白い肌を除けばあまりにも自分たちとはなんら変わらぬその姿に、ある種の油断が生まれていた。
それに、なによりサスケは攻撃を躊躇っていた。彼女が支配されていると分かり、それでいて彼の普段通りの動きのつもりだった行動には鋭さが無かった。
左脇腹にめり込まれた拳が捻られる。瞳孔が開き、口からは鮮血を流すサスケは、そのままの状態で硬直する形になってしまった。
「なっ……!!」
同じく、シヴァも油断していた。そして気付いたときには、槍で抑えていたセルシウスの拳は消えていた。
足だけを槍の持ち手に引っ掛けたまま、サスケがやろうとしていた行動をそのまま、目の前の大晶霊は空中で行っていたのだ。相手への死角に飛び込むという行動を。
それに気付いたのは、更にその足を軸として回転したセルシウスの蹴りの一撃で吹き飛ばされてからのことであった。
そして蹴りの反動を使い、サスケへ背面蹴りを放ち、彼を空中高くへと巻き上げて沈ませる。
「サスケ!!」
頭から床へと落下していくサスケの様子を見ていたエクレアは不意に駆け出す。そのまま彼の墜落地点へと滑り込みギリギリのところで受け止める。
「――!?」
そこから追撃を加えようとセルシウスは駆ける。が、突如降り注がれた火炎弾にそれを阻まれ、瞬間的に飛び退いていく。
冷や汗を掻きながらエクレアは後方を振り返った。そこには、明るく青い髪にメイド服と、その場にまったくと言っていいほど場違いだろう、ミライアが晶術の詠唱を終わらせていたのが見える。
「スラストファング!」
続けざまに晶術を唱える。疾風の刃がセルシウスを襲い、けれども彼女は宙を舞いながらそれを器用に回避する。
(ど……どうしよう……)
ミライアは内心、気が狂いそうになるほど動揺していた。自分の後ろには回復晶術は掛けたものの、完全に立ち上がれていないカーシスが、傍に倒れているシヴァを庇うかのように片膝で立っている。
そして、セルシウスを挟んでの奥にいるエクレアは、一撃を受けてピクリとも動いていないサスケを抱きすくめている。
――つまり自分しかいないということ。
(……け……けど…………)
しかし、自分よりも遥かに強い四人が手も足も出ていないのだ。現に、詠唱を唱えようと思うまでの間にカーシスは倒れ、エクレアも反撃で怯み、シヴァとサスケは蹴り飛ばされている。完全に反応が遅すぎた。
「………だけど!!」
常識じゃないのは分かっている。結果は目に見えている。逃げたくとも、後ろを振り返れば倒れている仲間がいて、それ以前に自らも動けない。
やがて、風の勢いが収まると、セルシウスはミライアへと向かってゆっくりと迫ってくる。その瞳は虚ろで、本当は自分たちのことが見えていないのではないだろうか、そう錯覚させるものだが……考えるだけ無駄だろう。
「氷結は終焉……」
なら、いま自分が出来る最良のことをするしかない。結論は、唱えられる晶術の中で最大の威力を持つ術を放つこと。逃げるわけにはいかない。セルシウスの肩越しに見える、崩れ落ちている、自分よりも小さく、それでも戦おうと這おうとしている、尊敬と、憧れを抱いている人を護るために……。
「せめて刹那にて砕けよ!」
周囲の晶力が急激に高まる。辺りの気温が更に低下して、霜が部屋一面に張り巡らされている。そして、臨界を突破せんと溢れる力を解放する。
「イン……!」
――だが、そこには絶対なる力の差があった。セルシウスは突如急速に前進し、目の前にいる少女の口に手を押し当て、そのまま前へと押し倒そうとしている。
口を塞がれ、呼吸も満足に出来ない状態で、驚愕に見開かれた視界の先には、襲うべく相手の真後ろで、その対象がいないまま降り注がれる巨大な氷柱が見える。
そして、セルシウスはミライアの頭から床へと叩きつけようと力を込めた――。
「あ」
突如、口を塞ぐ力が離れた。ドスッ、と尻餅を突き、呆然とその光景を眺めてしまう。
「やめて……負けないで…………!!」
「――!?」
バランスを失い、大きく横へと傾くセルシウスの身体の後ろに、思いきりサスケは飛びついていた。そのまま床へと叩きつけられる両者。そして、伏せるセルシウスにサスケは無我夢中で乗りかかる。
「負けないで!!」
その声は、この場にいるどの仲間にも発せられてはいなかった。ただ、目の前に見える“病んでいる”大晶霊へとぶつけていた。
そして、微かに彼女を握る手に光が宿る。
「…………」
呆然と、セルシウスは虚ろな瞳をサスケに向けていた。
だが………両肩から、暖かいものが流れ込んできていた。
それは、激しく苦痛をもたらしていく。
「いやああああああああああああああああ!!!」
叫びと共に、辺りに衝撃波が走った。吹き飛ばされて、壁に身体をしたたか打ちつけたサスケだが、それでも、ゆっくりと、再びセルシウスの傍へと向かう。
「やめて…………私を……いやああああ……」
頭を抑えて、その場で蹲る大晶霊がそこにいた。従えていた闇が、より一層彼女を包もうと静寂を纏いながらその影を伸ばしていく。
「……だいじょう……ぶ」
そして、サスケはゆっくりと、彼女を抱き締めた。
――私は………どこにいるの?
暗い…とっても怖い。私は私の住んでいた、結晶に溢れる場所にいたのに、どうして?
怖い……。なんで、私はここにいるの? 誰か、私を助けて……。
『……だいじょう……ぶ』
――!? 誰!!
『大丈夫だから……負けないで…………』
なに……この、声。……けど、私を……助けてくれるの?私を、連れて行ってくれるの?
その声は、とても澄んでいた。暖かい息吹が伝わってくるような。そして、私の中に重く圧し掛かっていた暗いなにかが、ゆっくりと、だけど確実に、溶けて、消えていくのが分かった。
いつからだろう、人間に会わなくなったのは。時が経つと、人は変わるものなのだろうか…………?
そして、私の目の前にか細い光が差し込んできた。
迷わなかった。出たくて、出たくて仕方がなかった。私は、それを掴もうと必死に手を伸ばす。
――私を……ここから…………。
最後に見えたのは、光の中から現れてきた。神々しい翼を纏っている……それは…………。
セルシウスを抱き締めて、そしてサスケの身体全体から光が発せられた。
サスケ自身と、セルシウスを包むようにその光は淡く、けれども力強く溢れ出て、彼女の闇を振り払う。
「大丈夫だから……負けないで……」
うわ言のようにサスケは呟き、それに呼応して光も徐々にその明るさを増していった。
その場にいる誰もが、その光景に声も出ないまま見届けている。
そうして、ミライアの荒くなっていた呼吸が収まった頃だろうか、やがて、闇を完全に取り払った光は、粒子のように、静かに散っていった。
「…………」
黙視ながらセルシウスから少しばかり身体を離す。見ると、彼女は安堵の表情で、静かに瞳を閉じている。その姿はまるで、自分たちと別段変わらない人間の姿に見えるほどだった。
「はあ……」
こちらも安堵して溜め息を漏らした。自分の膝元に静まっている大晶霊を見ながら、心底ホッとして、目を閉じる。
「……遅かったか」
「え?」
不意に、声が聞こえた。
そして、周囲と、自分に、違和感を覚えた。
……僕、どうして浮いているの? なんで、見下ろすほど下に……セルシウスさんがいるの?
「サスケ!!」
誰の声なのか、それと共にサスケは氷の床へと叩きつけられた。肺の中に溜まっていた酸素がごっそり吐き出され、胸を押さえるべく身体を大きく、くの字に曲げる。
エクレアはサスケの傍へと向かい、彼を抱き上げる。呼吸が荒くなりながらも、サスケはぼやける視界の先を見る。
「ようやく大晶霊にも闇が届いてきたというのに……また貴様らか」
真紅の瞳でその場にいる五人と、大晶霊を一瞥する。ザクスは、自分の傍らにシルラクが並んでくるのを待ちながら、蹲っているサスケを再び見る。
「いい加減、俺たちの邪魔をするな」
シルラクは短く、それでいて殺意の篭った目でサスケと、カーシスと、シヴァを見ている。
「ヴィレクトも……殺せなかったなら、仕方ないか」
「!!」
シヴァに限らず、五人全員が驚愕する。
「仲……間……なのか? お前たちは……」
目を見開いて、事実に衝撃を受けながらもなんとか声を絞り出して訊き返す。シヴァはこのダークエルフの二人のことは以前から聞かされていた。そして、この目でハッキリと確かめて、そして驚愕した。
なぜ、ヴィレクトがこいつらの仲間なのか――。
しかし、シルラクは返答をしなかった。
代わりに、シヴァへと間合いを詰めて斬撃を繰り出した。
「なっ!!」
突然の不意打ちに、シヴァは槍で剣閃を防ぐ。
が、そこから殴られた。あまりにも唐突に出てきた拳をまともに受けて、膝が落ちる。そこを見逃すはずもなく、これでもかと言わんばかりに、シルラクは緩くなったシヴァの防御の隙を狙って、剣を振り下ろす。
しかし、これも届かない。カーシスが真下から受け止める形でシヴァを庇うように対峙する。
「姑息な……なるなら正々堂々やれ」
そこから密着するようにシルラクへ迫る。そしてお互いが衝突する直前にカーシスは肩を入れる。
突進で突き飛ばしたシルラクに、勢いのままに剣を振り回す。肩に剣を深々と傷をつけて、蹴り飛ばす。
「ぐあああ!」
痛みで顔を顰めるシルラクにザクスは回復晶術を唱える。
「とにかく、そこの大晶霊はもらっていくぞ」
ザクスはシルラクの傷もそこそこに治して、床で静かに横たわっているセルシウスを視界に捕らえる。
その表情は無機質で、それ以上の言葉を発しようとはしない程の。
「エアプレッシャー!」
しかし、その表情は突如現れた重力場の存在によって歪められる。
ザクスが身を退くと、その動きをなぞるかのように拳が飛来する。
「ぐっ!!」
腕を使ってそれを直撃寸前のところで防ぐ。それを、エクレアは鬼気迫る勢いで押し通そうと力を加える。
(こんな……こんな相手に………!!)
「なに!?」
ザクスがそう声を発したのは、エクレアに空いている手で頭を鷲掴みにされたときだった。だが、それだけで、顔面に膝蹴りを見舞わされて頭から吹き飛ばされてしまう。
「待て……エクレア!!」
シヴァがエクレアへと駆け寄ろうとする。が、シヴァの存在自体が把握できていないのか、物凄い勢いで彼の頭上を跳躍する。
「あなたたちさえ……いなかったら…………!!」
シルラクの頭上までの跳躍。その頂点に達した瞬間、足を鋭く振り下ろし、そのまま猛スピードで下降する。
「くっ……」
鷹爪襲撃をギリギリのところで、シルラクは後退することで回避した。だが、それが仇となってしまう。
いつの間にか、エクレアは大剣を手にしてシルラクへと振り下ろさんとしている。
――シルラクが後退した先には、セルシウスとの戦いで弾き飛ばされた大剣が突き刺さってあった。鷹爪襲撃はフェイク。狙いは着地と同時に大剣を使って奇襲を掛けることだった。
が、お互いに運がないというのか、その一撃は通らなかった。
頭上から水流が流れてきて、エクレアは水圧で押し潰される。サスケと、カーシスと、ミライアとシヴァはエクレアの動きをただ黙って見ているだけだったが、ザクスは攻撃されたダメージをも忘れさせるほど、回復が早かった。
スプラッシュで押し返されたエクレアはミライアに受け止められる。だが、お構いなしに目の前の、ダークエルフの二人を睨みつけている。
「……退くぞ」
「なんだと?」
ザクスは静かにシルラクを促す。五対二の状況では、勝てる見込みが薄かった。
否、そうではなかった。怯んでしまったのだ、目の前の少女に。
あまりにも深く、怒気と、殺気を含んだその瞳は、ダークエルフであるザクスでさえ、背筋が冷えるものがあった。
「もういい。セルシウスも……もう無理だろう。帰るぞ」
シルラクはザクスに腕を引かれ、そのまま空間が歪められてしまう。シルラクはなにかを言い返そうと言葉を発していたが、それを聞き取ることが出来なかった。
そして、それが消えたと途端に、緊張の糸が切れて、気力で意識を繋げていたサスケは、静かに首を落してしまった。
――静かなのが嫌いになったのって、いつからだったかな?
エクレアは椅子に座りながら、ベッドで寝息を立てているサスケを呆然と見ている。昔は、こんなことは考えなかった。そう思いながらも、いま生きている自身の思考は延々と回転し続けている。どうして、サスケがいると、落ち着けて、たまに苛立って、離れたくなくなるのは、自分の感覚がおかしいのか。
「サスケ……」
――なんで、この子はこんなに綺麗なんだろう。サスケにとって失礼だと思うけど、本当に女の子にしか見えない。多分、私が一年くらいサスケと会わなくて、それで次に顔を会わせたら、今度はきっと弟には見えないと思う。
「……ふう」
そこまで考えて、エクレアは思考を中断させた。自分が考えてしまったことはサスケが気にしている嫌なことだし、エクレア自身も変なことを考えていると自覚していたからと、そこで深く溜め息を吐いた。
サスケを一人残して、エクレアは部屋を出た。と、廊下の曲がり角から丁度、ミライアの姿が見えた。
「あ、ミライア。カーシスとシヴァはどうしているの?」
突然訊かれたミライアは、一瞬驚きを表情に表しながらも、エクレアの姿を確認して肩を上下に動かすと静かに話した。
「いま、エフィアさんとリフィさんのお二方とお話ししていますよ」
簡潔に答えると、ミライアは吸い込まれるかのように二階へと上がっていく。それにつられてエクレアも後に続いた。
「……サスケさんは」
女性部屋に入って、ミライアがベッドに腰を下ろしてから不意に呟いた。
「サスケさんは、大丈夫でしたか?」
やはり、そこは仲間としてなのだろうか、訊かれるだろうと予想していたことを呟かれて、エクレアは静かに答えた。
「ええ、傷も治っているし、明日辺りに起きるんじゃないかしら」
……だが、そこはとうに気付いていたことだ。いや、今回のことで改めて再確認したということだろうか。
「ミライアって……」
どうしてだろうか、この言葉を口に出すのを躊躇ってしまう。訊きたいという反面、それを抑えようとしている自分がいるのが分かる。
だが、我慢できず、ついにそれを口に出してしまった。
「サスケのこと……好きなの?」
途端、ミライアは顔から火が出そうなほど頬を紅く染めた。そして、それに即座に答えようと口を開く。
「あ……あのっ、あ、あう……別に、私は……」
あまりにも唐突過ぎたのか。それでも否定しようとしているのだろう。しかし、そんな表情で、返答に舌が回っていないのなら明白だった。
「それじゃあ、どうしてサスケのことばかり心配するの? カーシスも、シヴァも、私だって怪我したわよ? けど、サスケを見るときと、違うわよね?」
そこまで言うと、本当にミライアは俯いてなにも言わなくなってしまった。
自分はなにを言いたいのか、なにをミライアに伝えたかったのか。いや、そもそもそんなものは初めから無かったのかもしれない。
やがて、ミライアは俯いた状態から少しずつ言葉を綴りだした。
「初めて会ったときは、お人形さんみたいな可愛い人って、思って。……いまでもそう思うときもありますけど」
その声はとても小さかった。部屋に二人だけしかいないために、なんとか聞き取れる範囲の声だったが、エクレアは一言も漏らすまいと耳を傾けている。
「小さい頃から、あまり家を出たことがなかった私は、皆さんに会うまでは外の世界に、憧れていました」
そのままミライアは続けて話す。
「けど私の知らない人達を一人で見たとき、不安になったんです。相手を外見だけで判断できないことを知っていた私は、いくら見た目が綺麗な人でも、見ることが出来ませんでした」
そして、ミライアの面が、ほんの少しだけ上がったのが見えた。そうして、再び頬を紅く染めて続きを話しはじめた。
「けど、そんな私に初めて声を掛けてくれたのが……サスケさんだったんです。私は嬉しくて泣いちゃいましたけど、それからサスケさんが私の中に残ったんです」
そして、ミライアは瞼を伏せて、そっと自分の両手を胸に当てた。
「サスケさんと一緒にいるうちに、あの方の素敵なところをたくさん見つけたんです。どんなときでも笑ってくれていて、私が不安になっていると励ましてくれて。なにがあっても最後まで諦めなくて、優しくて、とっても暖かくて……」
夕日の明かりが窓から差し込み、面を上げたミライアの表情を更に紅く照らした。そして、少しばかり気恥ずかしげに、けれども笑顔で、彼女は言った。
「私は、そんなサスケさんが好きなんです」
別段と、驚きはしなかった。夢見る乙女のような表情でミライアはサスケのことをぽつぽつと話す。その姿を、エクレアは眩しく見えてしまう。
「教えられたんです。サスケさんが頑張っているのを見ていると、私も頑張りたくなるんです。サスケさんが笑っていると、私も笑いたくなって、そうして暖かいサスケさんを見ていたら、私の中で……サスケさんが大きくなっていたんです。そして、私も頑張っていつか、サスケさんを助けたい……」
躊躇いもなく綴る言葉に、いつしかエクレアは聞き入っていた。思えば、ミライアと仲良くしてから、彼女自身のことはいくらか聞いたことがあるのだろうか。いや、ミライアがサスケのことを好いているということは、サスケ以外なら全員がとうに感付いているのかもしれない。
そして、ミライア自身の口から聞く彼女の想いは、自分がサスケに対して思っていることと同じく、とても暖かかった。
ミライアが寝息を立てているが聞こえると、エクレアは静かに物思いにふけていた。
自分は、サスケのことをどう見ていたのだろうか。経緯があるとしてもなぜ、ミライアはサスケのことを好きになれたのだろうか。自分も、もちろんサスケのことは好きだった。しかし、それとは別の好き――愛情がミライアの中から溢れていたのが分かった。
(……私は)
――私は、どうしてこんなことを考えているのだろう。ミライアは見た目も可愛いし、優しくて礼儀正しい。サスケもミライアと一緒にいると楽しそうに笑う。サスケも、ミライアのことが好きだったら二人はきっと、もっと仲良くなっていくだろう。自分も、姉として応援したい。
けれども、どうして心の中は、こんなにも寂しくて、虚しいのだろうか。
不意に、ベッドで寝息を立てていたサスケの姿を思い出す。心配だったのは確かだった。けれども、そうしている最中でも、サスケを見ていると不安になり、押し潰されそうな気持ちになる。それが、いまはとても苦しい。
(……ああ)
そうして、改めて疑問に思ったことを思い返す。
いつからだっただろうか? 私が、静寂を嫌いになったのは…………
十八章 再び 完