十九章 闇の胎動

 

 

 

 

 現代にあるのも不自然だろう、電子機器が鳴り響く空間の中、ダンティンスは静かにモニター上に映し出された画面を眺めていた。

 と、不意に背後の自動開閉式の扉が開く音が聞こえた。振り返るまでもないだろう。この建物の中には自分を含め、三人のエルフと、古代種しか入ってこないのだから。

「おい、休んでないで作業したらどうだ?」

 シルラクはダンティンスを促すように言うが、如何せん口調が荒々しい。一緒に入ってきたザクスはそれを手で制し、代わりにダンティンスに言葉を投げる。

「どうだ? 魔物から晶力を吸収し続けて、足りるのか?」

 ダンティンスが見ているモニターを、ザクスも見入る。隣に寄ってきたザクスを真紅の瞳で一瞥し、ダンティンスは静かに答える。

「このまま行けば、な。だが時間が掛かりすぎる。もう少し効率よく集められないものか……」

 以前、世界各地を渡り歩き魔物を操り、転送を繰り返しこの施設で晶力を吸収していた。同時に生命力という別の力も奪い、魔物を干からびさせて処分する。この繰り返しで確実に目的は達成できるだろう。

「全部集まる前に、世界中から魔物がいなくなるかもしれん。他の国々でも魔物の討伐は進められている。急がねば……」

 それを危惧して、ルークリウスに魔物を攻め込ませたときがあった。あのときは自らが指揮を執るつもりだったが、邪魔が入った。

「……あいつらを始末できていたら、大晶霊も回収できて早く済んだものを」

 気付くのが遅かった。大晶霊は通常の晶霊の何万体をも上回る力を有している。魔物を集めなくても、大晶霊に狙いをつけていればよかったのだが、既に契約された後だった。

 それまで黙って聞いていたシルラクは、思い出したかのように二人に問う。

「そういえば、ヴィレクトはどうした?」

 無論、二人はこちらを見ない。だが、ザクスは背を向けたまま、適当でもないが、考え込んで導き出した返答を投げかけるわけも無い、ごく普通の回答を言った。

「また独りで出ているのだろう。放っておけ」

 頭を掻き、シルラクは黙って頷く。そして、電子音が鳴り響く天井を見上げ、溜め息を吐いた。

 

 

 

「おっと、すまねえな」

 通り掛かりで肩を衝突させてしまった男は、長髪の人物に適当な謝罪を言うと、さっさとその場から離れていってしまった。

「…………」

 歩きながら、決して他人に自分の思考を害されないよう、常に視線を落していた。が、衝突した振動で、面を上げて周囲を見渡す。

「小さな町だな……」

 重く響く声の主、ヴィレクトは呟くと、もう一度視線を周囲に向ける。

 行き交う人々は着物に袴、という姿が多い。ヘアルレイオスは他国から見たら異文化の国なのだから仕方ないか。一人でいるときは何度かここの道は通るのに、改めてそう考えてしまう。

(施設に戻るか……)

 そろそろダンティンスたちと今後の動きについての話が出る頃だろう。その場で踵を返し、来た道を戻る。

 そして、再び考え込んでしまう。

(なぜ……なんだ…………)

 

 

 

「皆だけは……守る、絶対に……」

 その少年は、自身を盾として仲間を守った。

 

 

 

 その言葉が、少年が、記憶に焼きついて離れない。そして、何度も思った。

 

 

 

 ――なぜ、生きているのだ?

 

 

 謎だった。その少年は、あろうことか自分が一番憎んでいる人間と一つの肉体を共有して、そして生きている。

 

 

 

 ――実験は、本当に成功したのか?

 

 

 

 謎しか残らなかった。少年と、憎むべき相手はサスケと名乗っていた。いや、そんなことはどうでもいい。その存在は、どうして自分に謎という迷宮を与えたのか。

「私は……なにをしたかったのだろうか…………」

 憎んでいる、殺したいと思っている。それの気持ちは嘘ではない。三千年という歳月を越えて、ようやく憎むべき相手を殺せると思ったのだ。

 だが、途端にその気が失せた。いや、徐々に失っているというほうが正しいのか。

「……なぜ、真の極光術を……得ているのだ」

 神の力とされているそれは、人を裏切る人間が得うるものではない。

「一人、私が生きてきた中で、相応しいのは一人だけだった……」

 奥底で蓋をしていた記憶が、不意に湧き上がってきた。

 

 

 

 温かい日差しが降り注ぐ日。だがそれとは関係なく室内にいるヴィレクトは金属の扉を叩き、中にいる人物に問い掛ける。

「いるのか?」

 短いが、これで充分に答えてくれる。やや間があって、やわらかな返事が聞こえてくると、静かに扉が開いた。

「どうしたの? こんな時間に…………」

 出てきたのは女性。改めて見ると、とても美人なのだろう。彼女が体を揺らす度に、それに併せて腰まで伸ばしている青髪も揺れる。自分も、無造作に銀髪を伸ばしているが、彼女は違う。持っている服や、自身の顔や、体系、それらを考えて髪形も併せて切る。

「いや、今晩もあいつは夜勤だからな、私が代わりに見舞いに来た」

「あら、嬉しいわ。ふふふ、別にあなたまで無理しなくていいのに……」

 笑うと共に、申し訳なさそうな表情を作る彼女を見て、ヴィレクトは言葉に詰まってしまう。別段、頼まれたわけでもないが、素直に彼女と、友との二人の仲を眺めていたかった、というのが本音だった。

「腹の子も、少しは大きくなっているのか?」

 と、視線を落して彼女の腹部を見る。未だに大きな変化は見られていないものの、確か三ヶ月だっただろうか。訊ねると彼女は何事も無いように答えた。

「そうそう、もう結構経っているのよね。……それに、来週……お医者さんに聞くの」

 少しばかり言葉を溜めて、彼女はヴィレクトの表情を伺う。

――大丈夫、彼はまだ聞いてないから、もう少し楽しく話せる。そう頭の中で整理をすると、一呼吸置いて告げる。

「子供、男の子か女の子か、どっち? って」

「ほう……お楽しみ、にはしないのか?」

 驚いた表情を見せるヴィレクト。だが、彼女には悪いことをしている思いだった。実は、既に昼間に同じ話を友から聞かされていたのだ。

 だが、彼女の無垢で、あどけない表情の前には、そんなことを言うのは不躾だろう。なにより、本人は一番嬉しがっているのだ。ずっと想っていた人との間に出来た子供。産むのが楽しみで仕方が無い、とも話していたのも覚えている。

 

 

 

 全てが温かかったその時間。生きていてこれ程嬉しいと感じたことは、後にも先にもないだろう。

 だが、幸せ、というものは長くは続かなかった。

 ガラスが割れるその様があっけないように、幸せもまた、簡単に壊れてしまった。

 

 

 

「ん?」

 不意に、足元になにかが触れた。目線を下に落していたから、それをハッキリと捉えて、掴み取る。

 手の中に納まった桃。程よく名前の通りの色に染まっており、つい噛り付いてしまいそうなくらいだ。

 勿論、そんなことはしないのだが。よく周囲を見ると、人通りを抜けたところだった。誰かが落したのか。

「すみませんー」

 と、正面から声が聞こえてきた。道の先から、女性が一人小走りでこちらにやってくるのが見える。

「落したぞ」

 あえて言葉には抑揚をつけず、ヴィレクトは無表情で女性に桃を手渡しする。

「はい、ありがと…………」

 受け取ろうと、女性も手を差し出す。が、ヴィレクトから桃を受け取ったその手は動かなかった。

 女性の目が、ヴィレクト自身に向けられて、固定されていた。

「……どうした?」

 さすがに不振に思ってしまう。見たところは自分よりは年上だろう。壮年、に差し掛かるところか、それでも見た目ではとても若い、ように感じられる。だが、いくら外見だけを見ても不振に思うと話は別。緑で彩られた女性の瞳から離れようと、視線を避けてヴィレクトは訊く。

「……あっ、す……すみません!! ちょっと、知り合いに雰囲気が似ていたから……」

 それを聞いて、ヴィレクトは眉を吊り上げた。自分と似ている人間、というのはいないだろう。

 だが、よく考えてみれば、自分と似たような人間がこの世に何人いるだろうか。いくら自分が古代種だからといっても、それが特別人格を左右するわけでもないだろう。

「私と、似ている人がいるのか」

 思いもよらなかっただろう。まさか、自分が何気なく話した、それもただの通りすがりの話を、だ。聞いてくるというのも不思議に思うのが自然だ。

 だが、彼女はそんなことは考えていなかった。

「ええ……随分昔なんですけどね」

 と、そこまで話してから彼女は言葉を切った。ヴィレクトに踵を返し、ゆっくりと振り返る。間接的に、付いてきてという反応を示されたのを見て、ヴィレクトは黙って後を歩く。

「私、ずっと昔に彼氏がいたの」

 ――色恋沙汰。ヴィレクトは出だしからはそれだけしか感じ取れなかった。別段、普段聞かないような話でもない。普通に生活している人間なら誰もが聞く、ありふれた話なのだろう。

「別の大陸からこっちに来たらしいんだけど、その人、とても優しかったの」

 優しい、そう聞かされても脳裏に浮かぶのは一人の女性と、家族の姿しかなかった。そして、浮かんでは消えていくのは、かつての友の姿。苦い思いを抱えながらも、なぜかヴィレクトはそのまま女性の後を付いて歩く。

「知り合ったのは領主様の館でなんだけど、私は大学で歴史学を専攻していて、あの人も同じだったの。それで、話しが合って、そのまま一緒にいることが多くなったの」

 と、女性は歩を止めた。ヴィレクトもその場に留まり、彼女の後姿をただ眺める。

 着いた先は、ごく普通の家の門の前。彼女の家なのだろう。

 だが、彼女はそのまま門を潜ることはなく、敷地内の庭へと歩を進めた。

「それで、私、その人に好きって言ったの。……思い切って、言って恥ずかしくなって、だけど、『ありがとう』って言ってくれたの」

 庭は、あまり手がつけられていないのか、雑草がそれなりに伸びていて放置されている感じが漂っている。彼女はその中で、一本だけ植えられている木を背にし、静かにヴィレクトを見る。

「だけど、一週間くらい経った後かな? ……その人、いなくなったの」

 “いなくなった”

 それだけの言葉。ただの一言。だが、ヴィレクトはその言葉に酷く胸を痛めた。

 ――いなくなったのは、自分が大切だと思う人。

「……そうか」

 それくらいしか言えなかった。自分は、家族を失ったとき、憎むべき相手がいた。憎むことで、生きていく活力を得た。

 だが、彼女にはそんな相手はいるのだろうか? いや、いないだろう。こんな話をしていても、彼女の瞳、頬、口、それらは歪むことなく、ただ自分を見ているだけ。

(……私は、どんな顔をするのだろうか…………)

 自分が、心の内に溜めている憎悪を吐き出せばどんな表情をするのだろうか。大体は見当がついている。怒りが湧き上がり、憤慨し、そして、間違いなく憎むものを無くそうとするだろう。

「……やっぱり、似ているわ」

 突然我に返った。彼女がいつの間にか、自分の眼前まで顔を近づけていた。

「なにが、似ているのだ?」

「……あの人も、こんな優しい瞳をしていたのよ」

 思いもよらなかった言葉。だが、確実に告げられた。

 ――優しい。それは、久しく自分に対して言われなかった言葉。

「私は、お前が思っているほど、優しい人間ではない……」

 ――そう、人を殺そうと動き、相手を憎み、そして生きている。私は、私の大切な人達を奪った、奴を許せない。

「……お前は」

 そして、今度は自分が問う。

――私は、私の大切な人がいなくなったことで、絶望を感じた。

「どうして、そんなに明るくいられるのだ?」

 訊いた途端、相手からきょとんとした表情が見えた。

「どうして?」

 どうして、と訊き返されても困る。質問したのはこちらなのだから。ヴィレクトは微かに頭を捻りながら、言い方を変えてもう一度訊く。

「お前は、大切な人を無くして、なぜそんなに明るくいられるのだ?」

 どうやらこれで伝わったようだ。彼女も理解したかのように表情を明るくすると、何事もないように返答をする。

「だって、私は信じているの。あの人のこと」

 その言葉を紡いだときの彼女の笑顔は、酷く穏やかで、そして、自分の胸を締め付けるのには、それで充分すぎるほどだった。

 

 

 

 触れると冷やりとした感触が手を伝う。施設の扉を開けると、ヴィレクトは無音を意識して室内へと入る。

「よう」

 と、扉を閉め切る前に声が聞こえた。後ろを振り返ると、深い青が辺りを包む夜の外に、シルラクが立っていた。

「随分遅かったな。……ていうかお前はいつも遅くに戻ってくるか」

「今更、なにを言っているんだ。私がここに戻ろうがお前たちには関係ないだろう」

 突き放すように言う。別段、この男には思うところは無いのだが、必要最小限、この施設にいる人物とは会話をしたくはない。

 構わずに部屋へと戻ろうと歩を進める。

「おい」

 そこに一言、静止を掛ける。訝しげに振り向くヴィレクトだが、シルラクはお構い無しに話を進める。

「お前……変だぞ? あいつらと戦って戻ってきてから、……上手くは言えないが」

 あいつら、とは間違いなくシヴァ達だろう。まあ、同じ古代種同士の戦いだったのだ、シルラクが深く考えすぎるのも分かる気がする。

「そうか。なら、元の調子に戻すようにする」

 そう言ってヴィレクトは自室に戻る。シルラクがまだ言い足りないような表情をしていたが、それでも構わずに背を向けた。

「……やはり」

 自室の扉を閉め、そこに背中を預ける。

(まだ、信じていたいのだろうか…………)

 思いを口には出さず、静かに瞳を閉じた。

 その、ヴィレクトの室内の外で、ダンティンスが立ち尽くしていたことを、彼は知る由もなかった。

 

 

 

「んー……!!」

 大きく伸びをして、閉め切られた部屋のカーテンを開ける。

 袴をなびかせて階段を降りる。他人の家であるのであまりドタバタと降りることは出来ないが、別段気にすることもないだろう。そうやって降りるのはカーシスくらいしかいないのだが。

「あ、おはよう」

 居間へと入り、長テーブルに座って朝食を取っているカーシスに向けて挨拶を交わす。

「ん、もう大丈夫なのか?」

 サスケの外見を見る。特に変わるところも無いのは明らかだが、自然と行われたその行動を見て、サスケは大丈夫、と返事を返す。

「そういえば、他の三人は?」

 居間にカーシスが一人だけ、というのが不自然な光景だったので訊いてみる。

「んー……、シヴァは分かんねえ。エクレアとミライアなら部屋じゃねえか?」

「ふうん」

 訊いておいて返事もそこそこに返すくらいになり、サスケも椅子に座る。

 一番手前に置かれてあった食パンを手に取り、噛り付く。とは言っても、本当に小さく咥えているようにしか見えないが。

「あら? 二人とも起きていたの?」

 と、そこでよく通る声が聞こえた。

 振り返ると、この家の家主のエフィアが台所から見える裏の勝手口から入ってきていた。

 サスケが氷晶霊の洞窟で気を失ってからは、ただただその場から遠ざかるためだけにエルフの里まで戻っていった。その間の一日、サスケは動かずに、静かに気を失っているだけであった。

「サスケ君は、もう体は大丈夫なのかしら?」

 心配そうにエフィアはサスケを見る。運ばれてきた当初は、まるで人形のように動いてなかったサスケが、いまはこうして動いている。手でパンを掴んでそれを食べている。

 なんの変哲も無い光景。だが妙に違和感を覚える。一つひとつの動きに自然さが減っているような。

 だが、そんなものは気のせいだろう。生きている人間が誰かに操られているわけでもない、自分の意思で動いているのに不自然なものがあるのか。

「あ、そうそう、リフィが貴方たちに用事があるみたいよ」

 そこまで思考を巡らせてから、突然思い出して言う。言伝を頼まれていたのにそれを忘れていたのは恥ずかしかったのか、申し訳なさそうに眉を下げて二人に告げる。

「リフィが……ねえ」

 嫌な思いに駆られたカーシスだったが、あえて気にしない素振りを見せるべく、並べられた食事を早く済ませようと下を向いた。

 

 

 

「で、あんたは怖がって参加しないと」

「誰があんなこと言われた後に寝るかよ!!」

 食事の後にリフィの待っている家に向かった二人。

 そして突然言われた言葉は、

「ちょっとあんたたちの体調べたいから、そこら辺に寝ててよ」

 いきなり言われても困る。そして怪しい雰囲気が漂い過ぎている。食事のときに感じていた嫌な予感もあった所為か、カーシスは頑なにその要求を拒否していた。

 隣のソファでは、サスケは既に寝息を立てているが。

「別に、寝るだけなら俺じゃなくてもいいだろうが……」

 素直に寝ているサスケに呆れながらも、カーシスは拒否を続ける。

「古代種と一緒にいるあんたたちじゃないと意味ないのよ」

 と、そこで目を引いてしまう発言が飛び出た。古代種、と聞いて裏のカーシスと、寝ているサスケを他所に裏のサスケも反応する。

『俺たちがいると、どうなることでもあるのか?』

 裏のカーシスは不意に訊ねる。

「さあ?」

 が、それはあまりにも曖昧な答えで返されてしまう。というよりも、答えになっていなかったが。

「ちょっとねー、普通は一人の人間に二つの人格、っていうのは無いでしょ? だからちょっと体の検査だけよ」

 つまりは検査をするだけということ。

 しかし、それを聞くと裏のサスケは心当たりがあった。

 以前、というかここ最近何度か、サスケが胸を押さえて苦しむ様を見てしまったことがある。

『なら、診てくれないか?』

 そうして、リフィに頭を垂れる。実際には意識でいるだけの会話で姿は見えないのだが、声の雰囲気から察してそんな行動をしていそうなだけだが。

「はいはい、それじゃちょっと寝てなさい。あ、カーシスは寝る気無いなら帰っていいわよ」

 そして厄介者扱いされたカーシスは、肩を落としながらリフィルの家から出て行った。

 

 

 

 やたらと静かな空間が辺りを包む中、踏みしめる度に軋む音がする階段を降りる。

 何とは無く居間を覗く。――誰もいないのだが。そのまま廊下へと戻る。

「あれ、どうしたのミライア?」

「ひゃあ!?」

 と、振り向いた瞬間、いつの間に立っていたのか背後にエクレアが何食わぬ顔でミライアを見ていた。

「あ、えっと…………」

 そこで言葉を詰まらせてしまう。別段なにをしているという事も無かったのだが、昨日“言ってしまったせいなのか”つい意識して捜してしまった。

「んー……サスケなら私も見てないわよ」

 それとなく感付いていたエクレアは、この家にサスケが居ないと告げる。

 やっぱり、と思わず言いたくなるくらいにミライアは肩を落して、溜め息を吐いた。

「そうですか……」

 仕方ない、と諦めてミライアは下げた面を上げる。

「朝ご飯食べたの? まだなら……ほら、そこに置いてあるわよ」

 朝早々から気落ちしているミライアに話しを変えて、食事をするように促す。案の定、というよりもすんなりミライアは朝食の席に行ってしまったのだが。

「エクレアさんは?」

「私は部屋に戻っているから、サスケとかカーシスとかシヴァとか来たら呼んでね」

 が、促した本人は部屋へと戻っていってしまった。ミライアを一人で置いておけば、また色々と考え込んでしまうのではないか、という考えはエクレアには無かったのか。

「サスケ……ね」

 部屋へと戻ると、ぼそりと呟く。どうしてこうも意識してしまうのか。昨日のミライアの言葉が頭から離れないでいる。

 ――私は、そんなサスケさんが好きなんです。

(別に、思春期なら誰でもありそうなんだけどなあ……)

 そう言う自分も思春期なのだが、エクレアは頭を軽く抑えながら、カーシスとサスケの部屋から持ってきた革袋を床に落す。

「今度ファーエルに戻るときは、大会かあ……」

 色々ありすぎて疲れてしまう。いや、実は疲れ自体は少ないのかもしれないのだが。――その原因の中にサスケもいるのかもしれないが。明日にはエフィアの家を出て、船でファーエルに戻るのだ。一応革袋の中身を確認する。

 が、意外とカーシスがマメなのか、不足している道具類は殆ど無い。少し保存食が足りないくらいか。保存食とはいっても、サスケやミライアが食材を氷付けにするだけだが。

「あとは薬とか……あ」

 そこで、手に厚みのある感触が伝わった。

 取り出してみると、二冊の本。一冊はエクレアが図書館から持ってきた古書だとして、もう一冊は、

「日記?」

 見た感じで言ったことなのだが。背表紙になにも書かれていない本。面にしていた裏表紙に、ふと目を落す。

 そこにはサスケの筆跡があった。名前、ではなく彼の字で日記と書かれてある。

(日記……ということは……)

 つまりサスケの本心が書いてあるということ。

 自然と、表紙に手がいってしまう。なにが書かれてあるのだろうか。

 ――ただの旅の記録? それとも日々の思い? もしかしたら愚痴?

 そう思った瞬間。ページまで掛かった手を放した。

「なにやってるんだろう……私」

 どうして他人の日記を見ようと思ったのだろうか。そんなの、まかり間違っても自分の日記が見られたら……嫌に決まっている。

 それに、内心怖かった。日記なら本音が書かれている。自分を飾ることも無い。――サスケは普段から自分を飾っていることは無いと思うけど。

(……ここに)

 ――私たちのことも、書いてあるのかな?

 そう思ったが、結局は革袋に日記を戻した。

 エクレアは多少、表情を沈ませたが。買出しに行くべく、部屋を後にした。

 

 

 

「あふ……もう終わったんですか?」

 欠伸を手で押さえながら、サスケはリフィに訊いた。窓から差す夕焼けが、長い時間寝ていたことを物語るのだが、リフィは一応、四時間くらい、と答えてやった。

『それで、調べて分かったことでもあるのか?』

 検査(とも言えるかは定かではないが)の結果が気になるのか、開口一番に裏のサスケはリフィに訊ねる。

「はいはい、順番に答えるから」

 そして、裏サスケは口を噤んで、リフィの言葉を待った。

「まあ、別に悪いとこもないわね」

 が、返ってきた言葉は酷くつまらないものだった。――異常が無い、というのは一番なのだが、わざわざ調べる必要があったのだろうか。

『おいおい……それならなんで調べたんだ』

「もう、いいじゃないですか。悪いところがないなら、健康でいいことですし」

 もう少し不満を垂らしたかったのか、裏のサスケは珍しく渋るような口調になったが、それをサスケが制してやる。本人が一番、自分の体をよく知っているといったところなのか、別段結果に興味を示さずに、サスケは外に出ようとした。

「む、サスケか」

 玄関扉を開けた途端、偶然だろうかシヴァが横切るのが見えた。扉が開く音で向うも気付いたのか、こちらにやってきた。

「なにをしていたんだ?」

「えっと、リフィさんから体を診てもらっていました」

 訊ねるシヴァに、サスケは簡潔にだが出来事を話そうとする、

「体を……?」

 が、なにかおかしなことでもあるのか、シヴァの目つきが変わった。そのまま、サスケの姿を凝視する。

 無論、その視線にサスケが気付かないわけがない。

「どうしました?」

「いや……」

 だが、シヴァはすぐに表情を戻した。少しばかりその表情を豊かにして、エフィアの家の方角を指で差す。

「そういえば、カーシスたちが呼んでいたぞ。そろそろ夕食らしい」

 そして話を変えて、シヴァはサスケを促す。素直にサスケは教えてくれたことに礼を述べ、一足先にエフィアの家へと戻っていった。

 その姿を確認してから、改めてシヴァは向き直る。正面にはリフィが家の柱を背にして待っていた。

「なにか分かったか?」

 サスケ本人は、なんでもない、と答えた。だが、シヴァは再び、今度はリフィに訊いた。

「なにも、別に普通に元気な体だったわよ」

 少しばかり視線と、声を落してリフィは答える。

 その動作だけで充分だった。

「なにがあった?」

 再度問いただす。が、リフィは視線を泳がせただけだった。

 しばしの沈黙。そして、観念したのかおもむろに先に口を開いたのは、リフィだった。

「十四歳、身長は百五十一センチ、体重は四十キログラム。……まあ、これはエクレアが言っていたことだけどね」

 そこで一息吐く。そして、面を上げて、リフィもシヴァに向き直る。

「体自体は、ちょっと骨も丈夫ってわけでもないし、筋肉も全然無いし、風邪も引いたことあるんですって? だけどそこら辺にいる人間と同じで、悪いところは無いわよ。けどね……」

 そこで言葉を詰まらせた。ただ、黙って沈む日を見ているだけ。シヴァは言葉の続きを待つ。

「とりあえず、あんたはサスケのこと、目を放さないようにしてて」

 結局、最後に言われた言葉で新たな疑問が浮かんでしまった。

「どうしてだ?」

 なぜ、リフィが自分にそのようなことを言うのかは、大体は見当がついていた。――その原因の中に、自分がいると分かっているのだから。

「だから! 私もまだ分からないのよ。色々、調べたいこともあるし」

 それでも尚、しつこく食い下がってくるシヴァに、リフィは声を上げて遮った。その所為か、静まり返った辺りが、更に静寂と化しているように思える。

「すまない。……ありがとう」

 そして、それだけを言い残して、シヴァはその場を後にした。

 リフィはその姿が見えなくなるまで動かずに、そして、シヴァの姿が消えたのを確認してから、家の中へと戻っていった。

 ソファを見ると、綺麗に畳まれた毛布がある。検査が終わったあとでも起きないサスケに掛けてやったものだ。几帳面というか、こういう些細な行動を見ると、その人間の人格は分かってしまう。

 自室に戻り。机に備え付けられている椅子に座る。書類やらなにやらのおかげで乱雑としてある机の一番上に乗せられてある、新しい紙の束を手に取る。

 そこに書かれてあるのは、人の体の簡略図だった。隅にはサスケの名前が書かれてある。

 紙を捲り、もう一枚を見る。中身は同じもので、少しだけ書かれている文が違い、リフィ本人の名前が書かれてあった。

「……どういう、ことかしらね」

 もう二枚、三枚と捲る。似たような文面をただ読み耽るだけ。

 そして、その束を手から滑り落す。擦れる音と共に、散乱する紙がゆっくりと落下していく。

 物で溢れている机の上に突っ伏すリフィ。そのまま、静かに目を閉じて、意識を落していった。

 

十九章 闇の胎動 完