八章 もう一人……
曇天の中、雨が降ってきた。
ミライアはダンティンスの晶術で数メートル後ろの木まで飛ばされ、その根元で倒れている。
エクレアは直後のダンティンスの一撃を受けてくれたサスケを見て、気を失った。
そして、カーシスはその隣で剣を掴もうと必死に手で探っている。
「貴様……」
ダンティンスは、先程殺したと思っていたサスケが自分の剣を受けているのを見て、動揺を隠せないでいた。見ると貫いたはずの胸の傷が塞がっている。
「ああ、ようやく出てこられたよ……」
サスケの、いつもの高めの声ではない、ダンティンスのような低い声で言い、剣でダンティンスを押し退くと、カーシスの傍へと寄る。
「大丈夫か…?カーシス」
普段とは違うサスケの声。だがカーシスはそれには気づかなかった。
「う……」
カーシスはなんとか顔を上げようとした。だがサスケはそれを手で抑える。
「もういい、休んでいろ。あとは俺がなんとかする」
安堵したのか、カーシスは聞き慣れないサスケの俺、という言葉に疑問を持たずに気を失った。
サスケはその傍にあるカーシスの剣を左手で取り、右手の剣と持ち替えた。だが、どうも感触がおかしい。
「生きていたとはな……」
ダンティンスは剣を構えて呟いた。
「……そういえば…、こいつは左利きだったな……」
呟きながら先程持ち替えた両手の剣を、もう一度替えた。カーシスの剣のほうが長い。そしてサスケは自分の右手に持った剣を逆手に持ち直し、前に構えた。
「いくぞ……」
サスケは横に跳んだ。後ろの三人にダンティンスの攻撃がこないよう配慮した動きだ。
サスケの着地に合わせ、ダンティンスが剣を振るう。
「うおおお!!」
だがサスケはもう一度跳躍し、それを避けてダンティンスの背後へと移る。
「はあ!」
素早く左手の剣を振り抜くと、ダンティンスの背中を鮮血で満たす。
「ぐ……」
よろめきはしたが大した傷にはならなかった。ダンティンスはその場から離れると、晶術の詠唱に入る。
「ネガティブゲイト!」
サスケの周りに闇黒の空間が突如現われたが、彼は常人の動きでは有り得ない程の高い跳躍で難なく避けると、空中で晶術を唱える。
「バーンストライク!」
雨降る空から無数の火炎弾がダンティンスを襲った。上手く避けられているが、最後の一球が服を焦がすと、サスケは続けて昇華晶術を発動した。
「燃えろ!ヴォルカニックレイ!」
突如地面から火柱が噴き上がった。その勢いで空中に放り上げられた溶岩の奔流や岩石がダンティンスに降りかかる。
「ぐわああ!」
炎を浴びてたまらずダンティンスは膝をついてしまう。
着地したサスケが歩み寄ろうとすると、頭の中で声が響いた。
(誰……?)
これまでに幾度となく聞いた声、だがサスケはそれを気にもせずにいる。
「く……まさかこれ程、とはな……」
ダンティンスが立ち上がった。
「そうでもないさ」
サスケが足を止めると、自嘲気味に笑った。
「今回はどちらも手を引こう……。お互いにまだ完全に準備は出来ていまい……」
「そうだな……。おまえが誰だか知らないが、本気で向かっては来てないな?こちらも……」
サスケはエクレアたちが倒れているほうに目を向け、
「あいつらも、一応仲間らしい……からな」
と付け加えた。その表情に変化はない。
「さらばだ………」
ダンティンスの周りの空間が歪んだ、と思うと既に彼の姿はなかった。
サスケは剣を鞘に収めると、誰に言っているのか、呟いた。
「いまはこいつらを運ばないとな……。話しはそれからだ」
倒れている三人に歩んでいった。
魔物の群れが王都の前で既に全滅していたのをサスケは見た。
ミライアの家に気絶している三人を運ぶと、ルウェンが悲痛な声を上げる。
「ミライア……!!それに他の皆も…。いま手当てを…」
ルウェンがメイドを呼ぶと、駆けつけたメイドたちがエクレアたちを運んでいった。
「サスケ君も…、酷い傷じゃないか」
サスケの体の所々にある傷を見て、ルウェンが中に入るようにと勧めたが、サスケは構わずに玄関に寝かせてあるランスを抱き上げた。
「お……僕はいいですよ。王子を城まで運ば…なくちゃ……いけないし」
ぎこちなく言うと、サスケはランスを城まで担いでいった。
そして崩壊した城門を潜り謁見の間に入ると、王が息子の姿を見るや否や大急ぎで駆けつけて来た。
「ランス!大丈夫か?いま手当てを……誰か!」
王の声を聞き、駆けつけた兵士の一人―ある程度の傷を負っていた。恐らくは魔物と戦闘をしていたのだろう―がランスを運んでその場から離れていった。
王が玉座に腰を下ろすと、サスケの状態を見て、
「君も手当てをするといい」
と言ってくれた。だが、サスケはその誘いを拒み、自分の腕に手を添える。
「いえ、自分で治せますので…」
そうか、と耳まで覆っている白髪の髪を王は撫でると、サスケに訊ねた。
「岬でなにがあったというのだ?」
サスケは回復晶術を自分に唱えながら、ゆっくりと語り始める。
二日経ち、サスケが別室で三人の回復を待っていると、エクレアが勢いよくドアを破って入ってきた。
「あ……」
壁に立ったまま背に凭れているサスケがなにか言おうとしたが、エクレアは構わずサスケの頭を抱き締める。
「サスケ……よかった…、ありがと」
エクレアが礼を言うのに、サスケはどう対応していいかわからなかった。曖昧な返事でそれを返す。
「え…あ、ああ。よかった…ね」
サスケはエクレアから離れると、カーシスは?と訊ねる。
「もう皆起きてるわよ。行ってあげて」
エクレアがサスケを連れていくと、廊下でカーシスとミライアに出くわした。
「おっ、いたいた」
カーシスがサスケの肩を叩いた。
「サスケ…、助かったぜ。ありがとな」
隣にいたミライアも頭を下げた。
「本当に……、ありがとうございます」
サスケは大げさな、というように手をひらひらさせると、玄関のほうを軽く指差した。
「ああ、そういえば王様がね、皆起きたら城まで来てくれって言ってた」
ああそう、とエクレアが言い、ゆっくり歩き始める。
「早く行きましょ。王様だもん、待たせたら悪いでしょ?」
サスケを除く三人には、久しぶりに日の光を浴びた、というように空を見ながら城まで歩いていた。
そこからサスケは少し離れて、声が届かないようにして呟いた。
「……もう喋っていいぞ」
先程までの高めの声とは裏腹に、低い声を発する。
(じゃあ訊くけど……僕の体を動かしているあなたは誰?)
サスケの頭の中から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「俺は…おまえだ」
ゆっくり歩いて、サスケが答える。
(じゃあなんでもう一人僕がいるの?)
話しの流れからするに、頭の中から話かけているのが、エクレアたちの知っているサスケだろう。それではいま口で喋っているサスケは誰なのだろうか。
「それは…いまは話せない」
(そうなの……)
「気になるか?」
(あんまり…気になんないな)
「そうか……」
(あ、それと…、僕ってずっとこのまま……ですかね?)
このまま一生別の自分に体を使われるのか、と思いながらサスケは訊ねる。
「いや、戻ることはいつでも出来る。…だけどしばらくはこのままでいさせてくれないか……?」
(どうして…ですか?)
「俺はおまえが生まれてから、ずっと意識だけでいたんだ。少しは自由に動きたい……駄目か?」
(別にいいですよ)
内にいるサスケは、もう一人の自分が外と繋がらず、ずっと自分の中で生きていたことを知らないで過ごしていたことを思うと、頭を垂れる思いだった。自分がそのような立場に遇ったらどうだろう、誰とも会話が出来ない、自分で動くことも出来ない。それは自由がないということだ。
「そうか…ありがとう。安心してくれ、あの三人には気づかれないように……」
「どうしたのサスケ?」
言いかけたが、いつの間にかこちらに来ていたエクレアに会話を削がれてしまった。
「え…?あ、いや……、なんでもないよ」
無理やり低い声を高くして言った。なかなか似てるものだな、と意識でいるサスケは思った。まあ、同じ自分なんだから当然か。
「どうしたの?」
訊くとカーシスが、
「どうしたじゃねえよ。おまえが城の前を通り過ぎてたのをエクレアが気づいたんだよ」
とサスケの腕を引いた。よく見たら背後に崩れた城門が見える。
謁見の間は静けさを取り戻していた。王が元気になった四人を等分に見ると、咳払いをして頭を下げた。
「今回は本当に助かった。魔物の異常を知らせてくれて、それとランスを助けてくれて…」
隣にいたランスも、酷く落ち込んだ様子で口を開く。
「すまなかった。まだまだ私は未熟だった。足を引っ張ってしまって……申し訳ない」
とんでもないとサスケも頭を下げる。こういう癖は似ているのだろうか。
「魔物の異常は僕たちもダンティンスが関与しているとしか知りませんが…、またなにかあると思います」
「これからどうするつもりかね?」
不意に王が訊いた。
「あ………」
サスケは後ろにいる三人を覗った。
「僕は……、ダンティンスを追うから、このまま旅を続けます。皆はどうかわからないけれど……」
それを聞くと不満そうに、だがすぐに表情を明るくして、まさか、というようにカーシスは少しそり返ってサスケの背中をバシバシと叩いた。
「おまえ一人で行かせるかよ。…ついて行くぜ」
痛みで顔を顰めながらサスケはカーシスに向き直った。
「危ないよ?」
「そりゃそうだろ?ダンティンスみたいなのがいるからな」
それからカーシスは拳を握り潰すよう力を込めて言った。
「それに……次にあいつと戦うときまでには、もっと強くなる!ぜってえ負けねえ!」
「そんなこと当たり前よ」
隣でエクレアが拳をカーシスの胸に当てた。
「サスケばっかりに痛い思いはさせられないものね」
そういうとエクレアはサスケを見る。一瞬、彼の表情が曇るようになった気がしたが、もう一度見るといつもの、どことなくぼーっとしたような表情に戻っていた。
「…それじゃあ、まあ……、そんなわけで」
王に振りかえりサスケが言った。
「そちらの話しはまとまったか…。ダンティンスを追うなら、まずは……」
王が言いかけたが、途中でサスケが遮る。
「いや、王様。その前に一度ファーエルに戻ろうと思うのですが……」
顎鬚を擦りながら王は聞いていた。
「それから、ダンティンスを探したいと、そういうことだな?」
「はい」
王は玉座の脇にある呼び鈴を鳴らすと、臣下の一人が足早にやってきて耳打ちすると、また戻っていってしまった。
「船を出す必要があるだろう?南下してリエルタ港から乗ってくれ」
王の配慮にサスケは感動したのか、深く頭を下げたのをカーシスは見て、同じようにした。
「それでは…」
サスケは顔を上げ背を向けると、行こう、というように三人を手招きして城を出た。
そして歩いている最中、誰も口を開こうとはしなかった。その三人の表情には、決意を新たにしたときの雄々しさ垣間見える―エクレアは女だが―。
そのまま広場まで歩くと、その静寂を破りミライアが突然言葉を発した。
「あの…、私、皆さんに…ついて行きたいです」
それを聞いたエクレアは、はあ?というふうに首を傾げた。
「なんで?ようやく家に帰れたのに…?」
ミライアは胸の前で手を組むと、目を閉じた。
「私も、あの人のことは許せません。見てしまったから……、だから、一緒に行ってもいいですか?」
ふうん、と感心したようにエクレアは聞いていたが、サスケは眉を顰めた。
「い……」
「いいよ!それじゃ一緒に行きましょうよ!」
サスケがなにかを言い出そうとしたときにエクレアがそれを遮る。
「だけど、ルウェンさんに言ってからよ。また娘が旅に出るなんて嫌だって思うでしょ?」
「はい……。それじゃあ、ちょっと待っててくださいね」
ミライアはくるりと後ろを向くと、家の方角へと走っていった。
角を曲がって見えなくなったのを確認してから、カーシスがサスケに訊いた。
「なんでファーエルに戻るんだよ?」
「え?ああ、ちょっとね、本を取りに行くんだ」
オウム返しのようにエクレアが言い返した。
「本?」
「なんに使うんだ?」
カーシスが訊いてみると、サスケは彼の腰に下ろしている剣を指した。
「えーっとね、ダンティンスと戦ったときに、カーシスの剣を借りたんだよ。二刀で戦ったら、扱いやすくて……だから大図書館でなにか探したいの」
あのときか、とカーシスは意識がなくなる前にサスケに呼ばれたときのことを思い出していた。それと同時にあのとき、なにも出来なかった自分に無性に腹が立った。
「ああ…、そうだな……」
エクレアはカーシスの様子を覗っていた。彼女も自分の非力さを、あの戦いで思い知らされたからだ。意識の中のサスケも悔しさがこみ上げていた。
「まあ…、それじゃあ、サスケの剣、もう一振り買う?」
半ば沈黙が漂う中で、エクレアがそれを破ろうとした。
港に着いたのはそれから二時間後のことだった。ミライアが来るまでに始めて立ち寄った武器屋ではサスケの腕力では到底持てないような剣ばかりであった。それでもなんとか盾の代わりになる右手に持つ小剣―サスケの持っていた剣も小さめだが―を買って外に出ると、父親も連れてミライアが戻ってきた。
「娘を…よろしくお願いします」
それから港まで案内してくれたルウェンが一礼をした。
「いえいえ、こちらこそお世話になりました」
サスケは先に船に乗っている三人を覗うと、ルウェンに訊ねる。
「どうして、せっかく帰ってきた娘を旅させようと思ったんですか?」
ああ、とルウェンは表情を曇らせ頭を掻いた。彼はミライアが旅をしたいと申し出たときは、なぜかすぐに了解を出したという。
「それは…、いまはまだ言えません。もう少し……時が来たら、私から話そうと思います」
なにか事情があるのか、と思いサスケはそれ以上深くは訊かないことにした。
「それじゃあ、王様にまた来ますって、言っておいてください」
「ああ、わかった。サスケ君も気をつけて」
ルウェンは甲板に上がっているミライアを一目見ると微笑んだ、それから来た道を一人戻っていく。
(その剣だけどさ……)
船に乗りながらサスケが訊いた。
「なんだ?」
自分と話しをするときにだけは、足で歩いているサスケも声を正して言った。
(双剣…になるよね?僕でも扱いできるのかなあ?)
そうか、と呟くと意識でいるサスケに言い切った。
「安心しろ、俺もそれで戦ったことはない」
(え!嘘!?)
戸惑う声に少し笑うが、そのまま話しを続ける。
「扱いやすかった…と言っただろう?それに、丁度いいしな」
(なにがです?)
「かなり昔に、双剣の剣術書を見たことがある。そのとき俺は一刀で戦っていたが、その本はファーエルの書庫に保管されたのを覚えている。…隠し扉にだがな」
へえ、と感心したように意識のサスケは聞いていた。どうやら隠し扉には興味がないらしい。
(それって、僕も扱えますか?)
「俺が体得したことは、同時におまえもできるようになる。おまえが体得したことも、同時に俺にも扱える。…要は剣術でも晶術でも、どちらかが扱えればば二人とも使えるようになる」
それを聞いて意識のサスケはよかった、と言った。その声には安堵の息が混じっているようにも思えた。。
そうした船内を歩きながら窓から外を見ると、景色が動いていた。どうやら出航したらしい。一般客も一緒に乗っている。
(ねえ…)
またしても意識のサスケが訊ねてきた。
(前に、船に乗ったとき、自分でもわからなくてずーっと空を見てたんですけど……)
言い切る前にもう片方が答えた。
「ああ、そうさせたのは俺だ」
(やっぱり……。それでエクレアに心配かけたんですよ)
「すまない。あのときは俺の意識が強くなってきたところだったんだ。それで懐かしくなってな……」
二人は共に通路の窓の外を見ていた。船室に戻ってからも、青空の景色を眺めながらあれこれと話しをした。意識でいるサスケがこれまで大学で学んだこと。アンフィルスでの祭りのこと。だが身体の感覚を感じながら聞いている片方は、自分のことは一切語らない。精神だけになってまで自分の中にいるのだ、余程言えない事情があるのだろう、とサスケは一人で解釈していた。
ファーエルに着いて城に行くと、驚くことにランティスが国王の隣にいた。エクレアは父親の姿を見て驚いたがサスケは誰だ?、と眉を顰めた。
(僕とエクレアの父さんですよ)
すかさず意識のサスケが一通り教えると、納得し顔を緩ませる。
「久しぶりだな」
ランティスが軽く言うと、エクレアは父親の胸を叩いた。
「久しぶりだ、じゃないわよ。なんでこんなところにいるの?」
「王から聞かなかったのか?」
ランティスは首を傾げたが、サスケが聞いてるよ、と答えたらすかさず本題に移る。
「そういえば、大図書の隠し通路の鍵だったな?あれを建てたのは初代の王とエルフの民だったな…。よくそれがわかったな」
「前に大学の本で見たんだよ」
感心したように言っている父親―いまのサスケにとっては父親ではないが―にそう言うと、
「そうか……」
と今度は逆に不審がられている。
ランティスに連れられ大学の向かいの大図書館に入ると、あまりの大量の本の山に目を見張った。それぞれ系統ごとに区切られている本棚がいくつもあり、しかもその区切りは半端ではない。系統から更に小分けした場所まである。もはやなにがなんだかといった感じである。
「目眩がしてくるな……」
円錐状の建物の天井近くまで壁に敷き詰められた本を見上げると、カーシスは苦い顔をした。
「こっちだ」
本の山陰に隠れている一見なにもない壁にランティスが近づくと、細い銀製の鍵を取り出し、それを壁の溝に差し込んだ。
「いいぞ」
離れると、その周囲の壁が光を放ち、静かに収束していき、人が通れるだけの隙間が出来上がっていた。
その中に入ると暗闇だったが、順に壁に掛かっている松明の先から炎が順に燃え上がっていく。
「エルフが作ったのかな?」
エクレアは物珍しそうに勝手に火の灯る松明を眺めながら階段を降りていった。
「ここだ」
ランティスが視界から消えると、広い空間へと出た。が、本が所々に詰まっていて、歩く場所が狭い。パッと見はとても広い空間とは言えないだろう。
棚にある一冊の本をランティスが取り出し開くと、すぐに閉じてもとの場所に戻した。
「ちがう。ここは生物学の階層か……まだ下の階だな…」
連れられまた階段を降りていく、三、四階降りた先にはどこも同じような部屋で、夥しい数の本が積み上げられていて通るのに苦労した。
「道が狭いな……この先は私とサスケで行こう。他の皆は待っていてくれ」
更に夥しく本が投げられてある床の間を縫って、ランティスとサスケは更に下の階に降りていった。他の三人は古代史の階層に留まることになった。
「…なんでこんなに本ばっかりあるんだよ」
脇に本を除けながらカーシスは腰を下ろす。
「ま、サスケが戻るまで待っていましょう」
のんびりとエクレアは本の山から一冊手に取った。
時間の感覚がなくなる中、先へ進んだ二人はようやく技術関連の階層に辿り着いた。
「ここか……」
サスケが手当たり次第に本を開いていく。いつ頃の記憶なのか、その見た本の一部分のページだけを頼りに必死に探していた。
「サスケ、剣術書の棚があったぞ」
不意にランティスの声が聞こえた。急いでその棚へと向かい、手分けして探した。
「あった……」
どれくらい時間が経っただろう、サスケは一冊の本を見つけると、表紙をランティスに見せた。
「これは古代……、科学が発展していた時代に重要書本として保管されていた本の一冊だ。他にもあると聞いたが……」
サスケの説明を聞いてランティスは驚いた。自分も古代に科学が栄えていたということは知っていた。自分がその一部の記録を基に―なぜその技術がいまは存在していないのかは不明だが―城で研究をしているからだ。だがこのことは大学などで知る者はいない。城の研究者などの一部の者だけしか知らない、外部には漏れているはずはないのだ。
「どこでそれを知った!?」
明らかに怪訝そうにサスケを見る。
「ちょっと……ね。いまは言えない…」
喋り過ぎたか、とサスケは眉を顰めた。
「これ、持っていってもいいよね?」
話しながらも、サスケはまた本棚を漁る。今度はなにを探しているのか、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、気づけば数冊新たに彼の手の中に加わっている。
「あ、ああ、別に問題はないだろう」
慌ててランティスが言うと、サスケは集めた本を脇に抱え階段のほうへと向かった。
しかし、その階段は更に下の階層へと続くほうだ。
「ちょっと、もう少しだけ降りてもいい?」
静かに、けれども威嚇するようにランティスを視界に捕らえながらサスケは言う。表情自体は薄暗さで確認出来ないが、ランティスは本能でそれを読み取る。
「あ…ああ、別にいいだろ」
そうして、更に延々と下へと降りていく。階段という階段。本という本。既にランティスは階層を覚えていないまでに来ていた。
(ようやく電子工学の階か……あと少しだな)
だが、サスケには手に取るように自分の居場所が分かっていた。そのまま休むことなく歩を進める。
(本当に必要なのは剣術書じゃない……俺に必要なのは………)
そうして、闇の奥へと落ちるかのように、松明の灯りが徐々に薄暗くなっていく。
「それじゃ戻ろう。皆待ってるよ」
そう言うとサスケは階段を昇っていった。ランティスも後に続く。
「もういいよ」
そうして待っている三人のいる階まで来た。
いきなり階段から声がして、カーシスが振り向くと、サスケが本を抱えているのが見えた。
「ようやく戻ってきたわね……」
読んでいた本を脇に放り投げると、エクレアは伸びをした。
「遅くなってすまないな。戻ろうか」
ランティスがサスケを追い抜いて先頭に立ち、来た道を戻る。
「あ……」
殿にいたエクレアはなにを思ったのか、階段手前にある本の山から一冊本を抜き取った。バランスを失って積まれた本は、埃のたまった床へと崩れ落ちてしまう。それをエクレアは気にもしていないが。
「暇なときにでも読んでおこうかな」
大分表紙がぼろぼろになっているが、ページが取れていないのを確認して、エクレアは先行く四人に追いつこうと階段を駆けた。
外はすっかり日が沈んでいた。ランティスは城に戻っていき、四人は泊まったことのある宿へもう一度泊まることにした。
「こちらです」
フロントマンが案内した部屋は、大会前日に泊まったときと同じ角部屋だった。
「またここか…」
カーシスが革袋を床に置くと、自分が寝たことのあるベッドへと倒れこんだ。
「疲れたー!!」
叫んでそのまま転がろうとしたが、エクレアに手で抑えられてしまう。
「ダーメ!今回は寝る場所換えましょう。私とミライアはここで寝るから、カーシスとサスケは隣の部屋」
隣部屋に繋がっているドアをエクレアは指差した。
「わかったよ……」
カーシスはベッドから跳ね起きて、ソファに座った。
と、それから先にソファに座っていたサスケは入れ替わるように立ち上がった。
「僕ちょっと、下に行ってくるよ」
そう言ってサスケは部屋を出て階段を降りた。
(どこに行くんですか?)
意識のサスケが訊くと、そのままホテルの施設に向かった。
「ここだ」
(ここって、酒場じゃない?)
看板にはハッキリとそれらしき店名の文字が書いてあった。
(僕は未成年ですよ)
「心配するな、俺が飲める」
そのまま中へと入って行くとカウンターの席へ座った。隣には白髪混じりの、清楚そうな服を着た老人が座っている。既に酔っているのか、その印象はすぐ崩れているが。
「おお、若いもんが、酒飲むのか?」
いきなり老人に言われ、サスケは少し戸惑う。
「ええ…まあ」
「本当は飲んではいかんのだぞ」
「だけど飲みたいんですよ」
軽く流すつもりでサスケは言う。だが、それを聞いた老人は目を輝かせ、声を張って叫ぶように言う。
「ようし!それならわしと飲み比べするぞ!負けたほうが相手の代金も支払う!どうだ?」
聞いたサスケは、一瞬呆気に取られたが、面白い、というようにニヤリとして、
「いいですよ」
と言った。
「若いもんには負けんぞ」
老人はバーテンダーに酒を持って来いと手で仰いだ。
そして、その戦いも続くにつれ、かなりの量の酒瓶がカウンターに積まれていた。老人はかなり酔っているだろう、テーブルに突っ伏している。だがサスケはことも何気にどんどん瓶を空にしていく。顔はまったく赤く染まっていない。
「うーもうだめだ…」
「それじゃ、ごちそうさまです」
とうとう老人は降参した。満足そうにサスケは席を立つと、老人に一礼して店から出ていった。
(もしかして…飲みたかっただけ?)
訊かれると、
「そうだ」
と答えた。
(……まあいいや。それより、なんでわざわざ新しい剣技を覚えなきゃならないの?)
「俺は、もう殆ど自分の使っていた技は覚えていないからな。晶術くらいだけだ。それに新しい剣技を覚えるのも戦力になる。型を変えてしまうことになるが、元は殆ど我流だろう?持ってきたあの本自体はかなり貴重な物だぞ」
まったく酔っていない声でサスケは言った。
(なんでそんな昔の本を知っていたの?)
口に酒の臭いが残っていないか確かめながらサスケは曖昧に答える。
「まあ、色々とな……」
サスケは部屋へと戻った。ドアノブに手を掛け開けたら、エクレアの姿が見えた。ただしほぼ半裸の状態だったが。
「あ、お帰りサスケ」
浴衣を肩に掛けて晒しを胸に巻いていたエクレアは普通にサスケを呼んだが、隣で同じような格好―晒しは巻いていない―をしているミライアは高い声を上げた。両腕で胸の辺りを隠しているが、如何せん隠しきれていない。
「着替えてたの?」
ミライアの悲鳴を無視してサスケは言う。
「うん。あ、でもミライアは見ちゃダメよ。胸出てるから。隣に行ってて」
「ああ」
そのままサスケはカーシスのいる隣の部屋へと通過していった。
部屋にいるカーシスは女子が着替えている部屋からサスケが来たのに驚いた。
「なんでそっから入ってくるんだよ!」
「だってドアはここにしかないでしょ?」
おかしく笑いながらサスケは言った。
「………どうしておまえは殴られないんだよ」
じとっとカーシスはサスケを見る。よく見ると頬にあざが出来ている。
「……殴られたんだ」
溜め息交じりに言いながら、サスケは自分の浴衣に着替えた。
「ふー……気持ちいいな」
サスケは露天風呂にいた。カーシスはまだ浴室内にいる。エクレアもミライアもいない。
(ねえ、僕も入りたい……)
のんびりしているところに意識のサスケが言った。
「入りたいのか?」
(僕、温泉好きですから)
ねだるようにサスケは言った。湯に浸かっているサスケは大きく伸びをすると、目を閉じた。
「そうだな、しばらく外に出ていられたしな…。それじゃそろそろ戻るか。今度からはお互い好きなときに出られるようになるぞ」
(へえ………)
意識でいるサスケは感心した。と同時に、なにやら引きずり出されるような感覚を覚えた。なんだ、と思った瞬間に熱い湯の感覚が伝わってきた。
「……?戻った………」
サスケはきょろきょろと辺りを見渡した。腕を上げると感覚がある。元に戻ったのだ。
(どうだ?戻った感想は)
頭の中で声が響いた。先程までこの身体を動かしていたサスケの声であった。
「やっぱり身体が動かせられるほうがいいですよ」
久しぶりの感覚に満足げに答えた。
「明日から剣の練習頑張らないと」
(ああ、そうだな…)
見上げた空に浮かぶ月を眺めて、二人のサスケは時の流れを感じた。
「さーてと、もう少しでルークリウスね」
翌日、朝一の定期船に乗り、その二日後には障害もなく大海原の先にリエルタ港が見えた。
「着いたら先に城に行って王様に会わなきゃね」
サスケは椅子に座って伸びているエクレアを見ていた。仲間には自分の中にもう一人、自分がいるということを気づかせないまま元に戻れたので、普段と同じのんびりとした時間を過ごしていた。
「あ、火事だ」
が、それを崩すかのように、ことも何気にカーシスは遠くに見える城を指差した。確かにどす黒い煙が上がっている。
「どうしたんでしょうか……」
家のことが心配なのか、ミライアは不安げに煙を見ていた。
そうして船が港に着くと、審査を受け船を降りた。港の出口には何人かの行商人が息を切らして話をしているのが見える。
「ったく、なんだよあれは!死ぬかと思ったぞ!!」
その内の一人が声を荒げている。
「まったくだ、まさか城に魔物が来るとはな。この前全滅させたばかりだって聞いたのによう…」
話しに耳を傾けていたサスケは驚いた。どうやら全員聞いていたらしい。
「またダンティンスか…?」
サスケは舌打ちすると、城までの道を一人走り出した。慌ててカーシスがそれを追うため、縄で繋がれた馬に乗る。
「ちょっとカーシス!」
エクレアが止めようとしたところに、馬の持ち主だろう男がずかずかとやって来た。
「てめえ!うちの馬になにしてやがる!!」
やべえ、とカーシスは馬に乗ったまま器用に縄を解いて駆け出していった。
「あ……」
エクレアはカーシスがいなくなったのを横目で見ながら、馬の持ち主から後退りする。
「あんたらの連れの兄ちゃん、どうしてくれるんだよ!?」
迫ってきた男にエクレアとミライアは言葉を詰まらせる。
(カーシス……覚えておきなさいよ…)
その頃一人で街道を走っているサスケは、力強く地を蹴ってこちらに向かってくる馬を見た。
「サスケー!」
カーシスが見なれない馬に乗っているのに疑問を持ちながらサスケは首を傾げた。
「乗れよ!」
馬上でカーシスが手を差し出す。
「大丈夫!」
だがサスケは声を張って言った後、更に走る速度を上げ先頭を走った。
「あいつ……速え……」
馬に乗っているカーシスはサスケの足の速さに息を呑んだ。
「どうしてこんなに足が速くなったの?」
サスケが意識の中の自分に呟いた。
(俺がそうだったからだ。それに……)
ハッとなり、意識でいるサスケはそこで言葉を切った。この人は足が速かったんだな、とサスケは自分の足を見て思った。…馬より速いとは異常ではあるが。
王都が見えてきた。家々から火の手が上がっている。魔物が人々を襲っているのが見える。
サスケは油断なく左の腰に下げている剣を抜き左手に持ち、その後ろのもう一本小剣も抜いて右手に持った。魔物の数体がこちらに気づき、咆哮を上げた…………。
八章 もう一人…… 完