六章 ルークリウスへ
「おー、でけー!」
ファーエル港のあるレンバスの町に着いてカーシスは真っ先に声を張り上げた。
「海見たからって、なにおのぼりさんみたいなことやってるのよ」
離れるようにエクレアはカーシスを手で遮った。
「なんだよ、別に俺はおのぼりさんでも結構ですよーだ」
むっとしてカーシスが言い張る。
「あんたはいいけど、私やサスケやミライアは恥かしいのよ」
そっけなくエクレアは乗船所に向かった。
「おのぼりさんに見えるか?俺……」
カーシスの問に、サスケは困ったような顔をする。
「え……、見えるって、カーシスはおのぼりさんでしょ?」
サスケが当然でしょ、と指摘した意見にカーシスは怒りを覚えた。さり気なく言うことに棘がある。
「おまえ!なんだよその言いかたは!」
「だって、カーシスもエクレアも村から出たことなかったでしょ?」
「え…?そうだったんですか?」
ミライアは意外そうにカーシスを覗き込む。
「ほらな、ミライアはちゃんと俺のことを都会風の男に見えるみたいだぞ」
と、自身満々にカーシスは自分を指差すが、
「なにバカ言ってるのよ」
いつの間にか戻ってきていたエクレアに、カーシスは肘打ちを食らった。
「行きましょう。丁度船出る頃なんだって。部屋は二つ取れたわよ」
苦しんでいるカーシスを尻目に、エクレアは話しを続ける。
「四日くらいで着くそうよ。それまではのんびりできるわね」
それぞれエクレアからチケットを受け取り、カーシスを一人残し船に向かった。
急いで荷物を部屋に置いた後、カーシスはエクレアとミライアのいる部屋へ行った。サスケは何処にいるのか所在不明な状態である。
「ねえ、一応訊くけど、ミライアの家ってどこなの?」
「はい、王都にあります。王都まではリエルタ港に船が停泊したら、そこから北へ向かえば街道に出ます。そこなら魔物もでませんし……安全ですね」
熱心にテーブルの上に広げてある地図を見ながら聞き入っている。
だがカーシスは面倒だとばかりに席を外し、ドアへと向かった。
「あー!ちょっと、どこ行くのよ」
その行動をエクレアは怪訝そうに見ている。
「いいじゃねえか、もう話しはおしまい。せっかくの船旅なんだからよ、楽しまなきゃ損だぜ?」
と一言残してカーシスは部屋を出ていってしまった。
「……しょうがないわねえ、私たちも自由行動にする?」
エクレアはミライアに同意を求めた。
少し考えた後、ミライアも笑みを浮かべながら同意する。
「いいですね。そうしましょう」
エクレアもカーシスの後に続いて部屋を出ていく。
部屋を出たエクレアがまず先にすることは、サスケを探すことであった。カーシスは大方、食堂にでも行っているだろう、と思いながら甲板に上がる。
(どこ行ったんだろう……)
エクレアは甲板を縁沿いに歩き回った。途中に見える船のマストに架かる帆の白が青空によく映えていた。
かなりの大きさの船だったので、探すのには時間がかかり、見つけたときサスケは人気のない日影の場所で、壁に寄り掛かっていた。
てっきり日に当たっているのかと思い込んでいたエクレアは、サスケの隣に寄った。
「なにしてたの?」
少し間があってから、サスケはエクレアに気づく。
「……え、ああ、いや空気が重いなって思って、空を見てたんだ」
あまり聞かない言葉に、エクレアは首を傾げ、
「重い…?」
ともう一度訊いた。
「いや、最初は嵐が来るのかなって思ったんだけど、違うみたいだから…」
どこか気の抜けたような表情で淡々と話すサスケを見て、エクレアは違和感を覚えた。意識だけがその場にないようだった。
「サスケさ、疲れてない?」
「え?なんで…?」
「だってなんだか元気ないんだもん」
「そう?普通だなあって思うけど……」
サスケのぽけっとした目を見つめると、だんだん心配になってきたのか、
「少し寝たら?まだ夕食まで時間あるし……」
とサスケを促してみる。
「いや、別に眠たくはないんだ。心配しなくてもいいよ」
「じゃあお昼ご飯食べない?まだ食べてないし………」
断るサスケに今度は誘いを持ちかけてみる。
「んー、お腹も空いてないし、エクレアだけ行っておいでよ」
サスケはまた断ったが、誘ってもらって嬉しかったのか、微笑んだ。
面白くない、と思いながらエクレアはサスケの手を取る。
「それじゃあ食べなくていいから私に付き合ってよ」
「え…、あ、うんいいよ……」
嬉しいのか嫌なのかわかりにくい返事が返ってきたが、この際そんなことはどうでもいい、と思いエクレアはサスケの手を引いて食堂に向かった。
食堂の中はなかなか繁盛していた。乗客の殆どがいるのだろう。空いている席はあるのかな、とエクレアは辺りを見渡すと、
「あ、あったあった」
エクレアはサスケの袖を引くと、一番奥の、角のテーブルに座った。
「さーて、なに食べよっか?」
「僕は食べないよ」
メニューを渡そうとしていた手が止まった。
「……サスケ、本当に大丈夫なの?」
いつもは嫌でも断らないのに―エクレアもそのことには自覚があった―のだが、こんなにあからさまに断られたのは始めてだったので、エクレアはサスケに顔を近づけた。
「…大丈夫だよ」
そっけなく言うが、どこか自分を無視されているような気がした。
「だったら、せっかくの船旅なんだからさ、もっと楽しくしようよ……」
沈んだ表情で顔をうつむかせたエクレアを見て、サスケは慌てて手を振った。
「べ、別に楽しくないわけじゃないよ。エクレアといると楽しいし、だけどいまは本当にお腹空いてないんだよ」
「そう?それならいいんだけど…」
ようやく納得したエクレアはメニューを見た。だが何となく気まずい空気になったので、サスケはエクレアに手を差し出した。
「ねえ、注文するもの決まったら、見てもいい?なにか、飲み物でも頼みたいからさ」
エクレアはそれが自分の為にしてくれたことだとすぐにわかったが、それでも嬉しくなってしまった。
「本当?それじゃあ一緒に見ましょうよ」
エクレアはサスケの座っている長椅子のほうに席を移し、寄り添うようにサスケの傍に座った。
「なににするの?」
メニューに目をとおしながらエクレアは訊いた。
「んー、玄米茶ないかなあ……あ、ないや。なら番茶でいいや」
「いい趣味ね」
思わずエクレアの表情が緩んだ。
「だあーくそ!眠れやしねえ!」
夜に、カーシスは思わずベッドから跳ね起きた。外は嵐とまではいかないが、雨が強く窓ガラスを打っていた。
「蒸し暑いったらありゃしねえ…」
自分の服の襟に手をかけ、しきりに扇いだ。なにとなく外を見ようとすると、サスケが寝ているベッドが置いてある。
だが、そこにサスケはいなかった。
「サスケ…?」
ベッドは使われていない状態のままであった。部屋にはサスケがいない。
「どこ行ったんだよ、あいつ…」
蒸し暑い中の二度寝は癪だったのか、カーシスは部屋を出てサスケを探した。
まずは食堂に向かった。女子の部屋にはいるはずはないな、と見当をつけ、船の施設を歩き回ってみる。
「どこだ〜……」
別の客の部屋から騒ぎ声が聞こえる。まだ酒盛りでもしているのだろう。
あらかた探し終わり、まだ探していない場所は甲板だけとなる。嵐の中を行くのは嫌だが、
「ったくマジかよ」
少し涼むか、といった調子でカーシスは甲板に出た。強い風の中、雨がしたたか体を打ちつける。
「どこだ、あいつ」
カーシスは甲板を縁沿いに歩いた。途中何人かの水夫がなにやら作業をしているのを目にした。
「いやー、今回もなんにもなく終わるといいな」
水夫の一人が仲間内に話しかけている。
「そうだな。あのデカイが出たときはもうダメかと思ったぜ」
デカイ蛇?なんの話しだ、と思いながらカーシスはその場を去っていった。
「いた……」
そこは昼間サスケがいた甲板の裏だった。エクレアが見たときは屋根の下にいたのだが、いまは船の端ギリギリに立っている。揺れる船の上で、いつ海に落ちてもおかしくない位置だった。
「おーいサスケ!危ねえぞ!」
遠くでカーシスが呼んでもサスケは振り向かない。なにに気を取られているのか、彼は夜、鉛色の空を見つめていた。
仕方なくカーシスは傍まで駆け寄り、サスケの肩を叩く。
「おい」
一声かけると、サスケはゆっくりと振り向いた。その表情は夜の闇のせいか、酷く沈んでいるように見える。
「……どうしたの?」
なにとなく訊ねるサスケに、カーシスは呆れた。
「どうしたの、じゃねえよ。俺が訊きてえよ。寝てないでなにやってんだよ?」
もうすぐ夜明けだろう、ベッドの状態から見て一睡もしていないサスケを見て、眉を顰めた。
「……空を、見ていたの」
「なんで?」
サスケはカーシスに踵を返してまた空を見上げた。おそらくカーシスが寝た後からいたのだろう、全身はずぶ濡れになっている。
「風邪引くぞ。早く戻るぞ」
「もう少し……」
サスケはその場を動かない。その姿は、なにかに取り憑かれているかのように見える。
「なんだか、見なきゃいけない気がする……。だから、もう少しだけ………」
それきり、サスケは口を噤んでしまった。カーシスも諦め、サスケに一言告げる。
「あとで戻ってこいよ」
カーシスは船内へ戻っていった。その言葉を聞いたサスケの顔が緩んでいた。
闇の辺りが少しずつ明るみを帯びていく………。
朝になると雨は止んだ。日の光が照りつける中、サスケはようやく部屋へと戻ってきた。
「おいおい……」
目を覚ましたカーシスは頭を掻く。いまサスケは椅子に座って髪の毛をバスタオルで拭いている最中だった。
仕方なくカーシスはサスケの着替えを革袋から出してやった。大学の制服の予備の物である。
「ありがとうね」
夜とは打って変わり、サスケは愛想よくカーシスから服を受け取る。
いつものサスケだな、と思いながらカーシスは洗面所へと向かった。
(昨日と全然違うな…。ま、こっちのほうがいいな)
「サスケ、起きてる?」
ドアが開くのと同時にエクレアの声がした。ミライアも一緒にいて、サスケの姿を見た。
「…………」
黙然とした。ずぶ濡れのサスケは背に合わない大きめの制服が身体に貼り付いており、細い身体の線が浮き出ている。
それを見て顔を赤くした二人は顔を見られないように後ろを向く。
「こいつ、昨日から外にいたんだぜ」
洗面所から出てきたカーシスが言った。
エクレアはそれを聞いて怪訝そうにサスケに振り向いた。
「もう!なにやってたのよ……」
「んー、ちょっとね………」
サスケは頬を掻いて着替えの制服に手を伸ばそうとした。だがその手は止まって、ドアの前にいる二人を上目で見た。
「あ、私たち、朝食貰ってきますね。行きましょうエクレアさん」
恥かしいのか、まだ頬を染めながらミライアはエクレアの手を引き、部屋を後にした。
カーシスがドアを閉めたのを確認してサスケは服を着替え始める。
朝食を取った後は、特にすることもなかった。各々で自由行動を取り、四人別々に船旅を満喫していた。
その中、エクレアは一人で甲板の廻りをうろうろと歩いていた。
「暇ね……」
なにとなく歩いていると、昨日サスケに会った甲板の裏手に出た。
そして今日もサスケはそこに立っていた。
「あ……」
サスケを視界に捉え呟くと、サスケもエクレアに気づき、手を振ってきた。
それを見たエクレアはきょとんとした表情を浮かべた。昨日なら自分が近くにいないと気づかなく、相手にしてくれなかったサスケが、こちらに気づいて手を振っている。まあいまみたいな反応が普通だったのだが。
エクレアは傍まで駆け寄った。サスケは船の柵に寄りかかり、また空を見ていた。
「なにしてたの?」
昨日と同じようにサスケに訊いてみた。
するとサスケは笑顔で答えた。
「空を見てたんだよ」
「昨日とおんなじね」
思わずエクレアも笑顔になってしまう。いつものサスケだな、と思い満足げになった。
(昨日はちょっと気分が良くなかったのかな…)
あのそっけない態度を思い出しながらエクレアは考えるが、
(だけどこっちのほうが可愛いからいいや……)
とすぐに考えを止めてしまう。悪い癖だ。
「あ、ねえエクレア」
サスケの呼びかけでハッとなったエクレアは少しばかり視線を彷徨わせた。
「もうそろそろお昼だけどさ、ご飯一緒に食べない?」
「えっ!?」
いきなりの誘いにエクレアは戸惑った。昨日と全然違う様子に、なんだか変な気分を感じた。
「あ、う…、うん。いいわよ」
それでもやっぱり嬉しい。もう昨日の出来事は頭から離れている状態だ。
「それじゃあ早く行きましょう」
エクレアはサスケの手を引っ張った。彼の足が縺れる。
「もう、そんな引っ張らないでよ」
サスケが踏み止まろうとした瞬間に、船が大きな音と共に激しく揺れた。
「きゃっ!」
その勢いに負け、エクレアはサスケを下敷きにうつ伏せに倒れてしまう。
「痛っーい!!もう!なんなのよ………」
愚痴を言うエクレアの下で、サスケは彼女の下から這い出ようとしている。
「ちょっと、早くどいてよエクレア……」
「あっ、ゴメン…」
急いでエクレアは立ち上がると、サスケの手を引いた。
それにすがって起き上がったサスケは辺りをきょろきょろと見渡し、水夫の一人を捕まえて何事か訊ねる。
「すいません、なにかあったんですか?」
「どうしたもこうしたも、魔物が出たんだよ!」
と、水夫は慌ててその場を去っていってしまった。
「魔物……」
サスケは水夫の後を追おうとしたが、エクレアに引き止められる。
「えー…、別に水夫だけで大丈夫でしょ。一緒にご飯食べようよ」
だがエクレアに止められ振り向いたサスケは、どうしてか唖然とした。
「……大丈夫じゃないと思う」
「え?」
エクレアも振り返る。
―二人とも言葉を失った。
蛇が、それもかなりの巨大さだった。水中の中にはまだ長い胴体があるのだろう。緑と黄の混じった鱗が蛇の表面を覆っている。開いている口からはかなり鋭そうな牙が生えていた。
「これは…危ないと思う……」
「そ、そうね………」
とりあえずあの蛇をどうにかしようと二人が大蛇に向かおうとしたとき、カーシスとミライアがやってきた。
「おい!あれ…なんなんだよ」
「なんでもいいけど、倒すしかないでしょ」
四人は必死に防戦している水夫たちの傍まできた。と同じに、もう一人水夫が慌てて甲板に上がってきた。
「大変だ!船底がやられた!!早く来てくれ!」
「来てくれったってどうすんだよ!」
剣を構えている水夫が怒鳴る。
「俺たちが相手してやるから下に降りてろよ」
一人粋がってカーシスが歩きざまに剣を抜く。
「だが…いや、わかった。よし!皆下に行くぞ!」
そんなカーシスの言葉を聞き、水夫たちは一斉に階段を降りていった。よほど焦っているようだ。
「いくぜみんな!」
まずはカーシスとエクレアが大蛇に向かっていく。ミライアは晶術の詠唱に入る。
「気をつけろよ。リヴァイアスグロルの牙は毒牙らしい!」
後ろから水夫の一人が叫んだ。エクレアはそれを聞くと牙に注意を向ける。
大蛇が唸りを上げて二人を襲う。それを避けて、エクレアは大蛇の横面に拳を打ち込んだ。
「…っつ!!」
だが手袋をはめていない手は鱗で切り傷を負い、血を滴らせた。
「エクレア!」
突然後ろから声が聞こえた。振り向くと、いつのまにかサスケが大剣を重そうに抱え、フラフラとした足取りで立っている。
「風よ鳴け!スラストファング!」
ミライアが大蛇に真空の刃で切り刻む。
その間にエクレアはサスケから大剣を受け取ると、また大蛇に向かっていった。
「おりゃあ!空衝刃!」
カーシスは木の床を蹴り、大蛇に一刀ものに斬り上げ、エクレアもその隙に大剣で大蛇を斬りつける。
「闇の影刃よ…シャドウエッジ!」
サスケが逆手に持っている剣を振り上げると、幻影の刃が大蛇を襲う。
苦しんだ大蛇の口が思いきり膨らんだ。とたんに口から大量の水を吐き出してきた。
「うわ!」
甲板全体水がいき渡った。水圧に負けて仰向けになっているところを大蛇の毒牙が襲う。
「ちっ!」
辛くも避けたカーシスは舌打ちして起き上がった。
サスケは後ろで風裂閃と、更に追撃をしてカーシスの後退の時間を稼いく。
その横で、ずぶ濡れになりながらも、ミライアはエクレアの手を借り立ち上がった。
「痛いわねえ!」
エクレアが力任せに大蛇を斬りつけると、入れ替わりにカーシスが剣を突き立て雷を放電させた。
水で濡れている胴体に直接電撃を食らった大蛇は、その巨体をぴん、と伸ばし感電した。その口がまたしても膨らみを帯びた。
「二度目は食らわない…!」
サスケが跳躍して、エクレアとミライアは詠唱を始めた。
大蛇の口から水の奔流が押し寄せる。
「フレイムドライブ!」
詠唱を終えたミライアの頭上から炎の塊が水流に向かった。
「紅蓮剣!」
サスケは更にエクレアの唱えたフレイムドライブを取り込み、炎をまとった剣を水流に投げつけた。
火晶術と剣とが水流を蒸発させた。その一撃で大蛇は力尽きて、激しい水音をたてて沈んでいった。
「あー……終わった」
やっとのことで敵を倒し、カーシスは気が抜けたように生欠伸をする。
「とりあえず…船長さんのところに行かないと………」
ああそうだな、とカーシスは三人の後について階段を降りていった。
「おお、ありがとうよ!」
中年の船長は、大蛇を倒したことを聞くと、大仰に手を広げる。濃い髭がなんとも印象的だ。
「はあ、どうも」
カーシスは濡れた頭を照れくさそうに掻いた。
「船は大丈夫なんですか?」
サスケが訊ねると船長は渋ったような顔をした。
「それがだな、ここじゃあ上手く修理出来ないんだよ。なんとか水は入らないようになったが、また穴が開くかもしれねえ。だから一旦、船を近くのルークリウス港に停めることになった」
「あ、そうなんですか…」
ミライアの表情が曇った。それを見てエクレアは彼女の肩を軽く叩いた。
「大丈夫でしょ。ちょっと遠回りになるけど、ちゃんとルークリウスまで行けたじゃない」
「…そうですね」
エクレアの励ましにミライアは笑みを綻ばせる。
「ところで譲ちゃんたち」
ゴホン、と咳をして船長が二人を見た。その目つきがいやらしく光る。
「早く服を乾かしたほうがいいぞ。全部透けて見えてるぜ」
それを聞いてミライアはラインをかたどった胸元を急いで腕で覆った。エクレアは晒しを巻いているからこれといって気にはしていない。
「がっはっは、可愛いねえ」
と船長はそれを見て声を上げて笑った。
翌日にルークリウス港に着いて、桟橋で簡単な審査を受け、船を後にした。
「おう、ねえちゃん、あんた強かったなあ」
エクレアが船の影にいる一人の水夫の前を通ったときに、尻を撫でられる。次の瞬間、エクレアはその水夫をこれでもかと殴りつけて、最後に水夫を綺麗に吹き飛ばした。
「ん?どうしたのエクレア」
前を歩いていたサスケが振り返る。
「ううん、なんでもないわよ」
清々しい笑顔でエクレアはひらひらと手を振って話を流す。
「ここってどこなんだ?」
そんなやり取りを尻目にカーシスがミライアに訊ねてみる。
「ここはルックウッドです。たしか、セイファート神殿も建てられてあるところですよ」
ミライアが説明すると、サスケが町の中にある像を見つけた。
「あ、あそこじゃないですか?」
周囲の人混みの遠くに見える像を指差した。その更に奥には銀の装飾の施された外観の建物がある。
「そうですね。あそこは……」
ミライアの言葉が途切れた。神殿の入口を見ると、黒いフードを被ったマントの男が中へと入っていった。
「あれって……」
エクレアは絶句した。
アンフィルスを襲った男とまったく同じ格好の者は、フードで顔が見えない。
「なんでここにもいるんだよ…」
カーシスは村の被害を思い出し、拳を握り締めた。
鞘に手を掛けようとしたが、サスケにその手を抑えられる。
「ダメだよ、ここじゃあ人が……」
周りに目を配った。親子連れや、恐らくは恋人同士の若者が町を歩いている。ここでいきなりあの男に剣を突きつけ、周囲の人達に被害が加わるのは良くない。
だが、頭ではわかっているがどうしても納得いかない。
「だけどよ…!」
「なにもこのまま見逃すとは言ってないよ。僕だって許せないし……。夜に神殿に忍び込もう」
全員が賛成した。町の宿を予約し、男が神殿から出ていないか、交代で夜まで見張りをした。
「……開いてる」
辺りがすっかり闇に包まれた頃、四人は神殿の裏口の前にいた。
鍵が開いていて、そこから中へと忍び込む。壁に非常用のライトがあったのでそれを使い、神殿を探索した。
「どこかしら……」
エクレアは油断なく辺りを見回すが、気配はない。やがて神殿の正門の扉まで来てしまっていた。
「出口だ…」
サスケはライトをカーシスに手渡し、手探りで鍵を開けた。いざ逃げるとなればここが近いだろうという考えだ。
「おまえたち!そこでなにをしている!?」
暗闇の中、声が響いた。途端に神殿全体がうっすらと明るみを帯びた。
司祭が三人、階段の前に立っていた。司祭用の山高帽に、足下まで長いローブを羽織っている。
だが、様子がおかしかった。
司祭は皆、虚ろな目をしていた。白目を剥いている者、首をたえず回している者、口から泡を吹いている者。
「ここへ来るとはな…。見られる前に殺してしまうか……」
司祭の一人が背中の槍に手を掛けた瞬間、サスケが一瞬で前に出て、司祭の胸がざっくりと斬れ、血が噴き出した。後ろの二人も同じように血を流して倒れていた。
―散破裂空閃。複数の真空波を飛ばすサスケの奥義。サスケは剣を下ろすと、階段を駆け上がった。
「ここだ。開いている……」
サスケは階段端の光が漏れている開いたままの扉をくぐった。
カーシスたちも後に続く。エクレアはその場を去る中、サスケが殺した司祭に目をやった。全身、紫の血が流れていた。人間の姿をした魔物であった。
扉の中は大聖堂であった。いくつもの長椅子が置かれており、ここで日々神の教えを司祭が説いていたのだろう。
「階段があるわね」
エクレアは祭壇の手前にぽっかりと開いてある、地下の階段を見つけた。思いのほか中は狭く、サスケ、エクレア、ミライア、カーシスの順で降りていった。
階段の先には、先程の大聖堂と同じ造りの空間が広がっていた。
その部屋の真ん中に、男は立っている。こちらには背を向けていて、正面に構えてあるセイファートの像を見ていた。
「誰だ……」
低く重い声を辺りに響かせ、男は漆黒のマントを翻しこちらを向いた。顔を覗おうとしたが、フードでやはり見えなかった。
「貴様等か……」
男は三人を覚えていた。好都合、といった調子でカーシスは剣を抜刀する。
「へっ、わかってんなら話は早え、勝負だ!」
だが男は腰に下げている剣を抜こうとはしなかった。
「いちいちうるさい奴等だ…。いまは貴様らの相手をしている暇はない……」
それだけ言い残すと、男は自身の影に包まれるように消えていった。
そして入れ替わるように、別の影が現われた。光に映ると、かなりの大型の獣、植物を思わせる鮮やかな黄緑や赤の模様の毛が表面を覆っている。口には剥き出しになった牙が二本、ぎらりと光っていた。
『食事の時間だ……、食っていいぞ、ゲアゼルバレス……』
辺りに男の声が響いた。ゲアゼルバレスと呼ばれた獣は唸り声を上げて襲いかかってきた。
「くるぞ!」
巨体に合わない素早さで巨獣は突進してきた。サスケとカーシスは右へ、エクレアはミライアを抱きかかえると左へ跳んだ。
そのまま壁に激突する巨獣に、サスケは雷神剣を食らわせる。
「もう一回痺れろ!」
カーシスも入れ替わりに雷砕衝を食らわせた。
巨獣を挟んでエクレアとミライアは晶術を唱える。
「スプラッシュ!」
「エアプレッシャー!」
上空から叩きつける水圧と重くのしかかる重圧が巨獣を押し潰す。
だが間髪入れず術から解かれた巨獣は、口から無数の虫を吐き出しサスケとカーシスに向かわせた。
「うわっ!」
片目をやられたサスケが身を捩った。カーシスは群がる虫を払い除けるのに必死で彼の元に行けない。
巨獣がまた突進してきた。カーシスは辛くも避けたが、片目を塞いでいるサスケは距離感を掴めずに衝突。後ろの壁まで吹き飛ばされ、したたか身体を打った。
「サスケ!!……ええい!」
怒りを露にしたエクレアは巨獣の背中に鷹爪蹴撃を放つ。
「剛天双震撃!」
カーシスの奥義が巨獣の足場を崩し、その巨体を飲み込んだ。
「くうっ…」
瓦礫の山を払い除けてサスケは起き上がった。頭に怪我を負い顔面に血を流している。
目の前が霞む。意識が途切れそうな中、サスケの目はしっかりと敵を捉えている。そして、徐々に意識のみが復活していく。
感じたことのない静寂が彼を包む。そして敵の動きが手に取るように分かる。四肢の動きから呼吸まで、鮮明に頭の中で情報が集積される。
その感覚に戸惑う。そしてその中で別の自分がいるかのように冷静に、脚を取られている巨獣に向かい、剣を力の限り振るった。
「切り裂く……」
完全に間合いの外にいた。だが巨獣の胴体はざっくりと切断され、血が噴き出た。
「散れ!」
サスケは蒼い真空を帯びた剣を振りまわす。剣が振られる度に巨獣の身体は無数の真空に切り刻まれていく。
「旋破裂衝撃!」
逆袈裟に斬り上げると同時に大きく踏み込み、剣に纏っていた秘奥義の蒼い真空が噴き出し、それを振り下ろす。真空は空中に浮かせた巨獣の身体を貫き、静かに散っていった。
しばらくの痙攣の後に絶命した巨獣の姿を確認して、サスケは壁にもたれかかり腰を下ろした。
「……痛い」
駆け寄ったミライアが回復晶術を唱えると、サスケの片目と頭の傷は塞がっていく。
「大丈夫ですか?」
「はい…」
ミライアに抱き起こされたサスケは、剣を鞘に収めると額に手を当て、頭を振った。
「逃げられたな……」
カーシスが巨獣の死体をまたいでこちらに向かってきた。
「もう朝になるわ。騒ぎになる前にここから出ましょう」
四人は来た道を戻り、正門を開け薄明るい外へと出た。
「王都ってどっちなの?」
ルックウッドの宿で仮眠をとり、その後に森林を歩いて三日目になるとエクレアがミライアに訊いた。
「もう少しで街道に出られると思います…」
行く手を遮る枝を剣で切り落しているカーシスは、前にもこんなことしていたな、と思い返していた。
「おっ!道じゃねえか?」
カーシスが林の奥に指差した先には、平原と立て札が小さく見えた。
「それじゃあもうすぐね」
四人は足早に草木を掻き分け、立て札に近づいていった。
六章 ルークリウスへ 完